鳥人間とおっちゃんブログ 第九話 大会への準備は、結構・・・いや、かなり地道で地味な毎日 後編

パイロット中尾がトレーニングに勤しんでいた一方、リーダー津嶋&他のメンバーも日々の過ごし方を試行錯誤していた。
大学に活動場所を確保したいという思いで、学生課の門を叩くも・・・新しい文化部連合所属クラブを作るとなるとまだ実績もないチームでもあり、ここ数年新規としては前例がないということで、具体的な検討にすら上がらない。学内にどこか拠点を・・・と活動場所の検討をお願いしても、部室の空き待ちで当分その予定はなしと断られる。
すぐに大学公式のクラブ化は難しいとしても、来年の鳥人間コンテストへのエントリーチーム名に大学名を入れても良いか?という問いに対しても、大学のダメっぷりが全国ネットで流れるかもしれない・・・可能性もあってか、
 いわゆるノーコメント・・・
である。
その当時はこれだけ自分達は本気だし、
 大阪府大という全国的には微妙なポジションでマイナーな?!大学を全国ネットの有名TV番組で大きく宣伝するいい機会になる・・・
という思いでやってるのになんで??なんで??という気持ちであったが、今思うとまぁ普通の大人の対応である。
大学側の調整は全く進みそうにないので、1年目の拠点は中野さんの会社の倉庫を工房とすることを決めて、バイトで行けない日を除いてここに通うことに決めた。しかし、実はこの工房中野さんの自宅と直結していたこともあり、工房に伺う日はほぼ毎日奥さんが夕食をメンバー全員に振る舞ってくれていた。
そして鳥人間の飛行機工房として認知が進むにつれその近所のおっちゃんやおばちゃん達とも仲良くなり、

「毎日がんばってんな〜」「今年はがんばってや〜」「応援してるで〜」
という暖かい言葉や様々な差し入れが届けられる空間になっていった。

これがこの工房が自分達にとっての
第二の自宅とも言えるほど思い入れが詰まっていった所以でもある。 

また機体製作に必要な工房とおっちゃん達のもろもろの支援はあるにせよ、いろいろ活動費用が掛かってくることを想定して、部費は毎月7000円と学生としては結構高めに設定した。今後新規に加わるメンバーからは高いだのなんだの常にクレームに繋がっていくことになるが、今思うとこれも活動に対するメンバーのコミットメントにもなっていたと思う。
鳥人間コンテストに出場するためには、活動としての大きなマイルストーンは、チーム層が厚かった当時倍率10倍とも言われていた(実際は知らないが・・・)非常に難関の
書類審査
というものを通過しなければならない。一年目は産官学連携チーム ×女性パイロットという話題性でなんとか突破できた実績があるものの、全く結果を残せなかった2年目のハードルはむしろ高くなっていることは誰にでも予想された。正直テレビ局の論理もよく分からなかった純粋な若者にとっては、
とにかく今年からは本気モードなので、確実に飛ぶ機体を設計する
という真っ正面突破的なアイデアしかなかった。
そのためには実績の高いスタンダードなトラクタープロペラ(機体の前方にプロペラを配置)レイアウトで、翼幅も25m前後で、駆動系もチェーン駆動という当時定番のスペックの機体でまず実績をつくる・・・というのがこの時に描いた青写真だった。
それに並行して活動として、
 ・そもそも人力飛行機ってなんぞやという最低限の知識

 ・飛ぶ機体の製作技術
を身につけていった。
しかし、人力飛行機を学ぶといっても世の中に一般的に出回っている資料は殆ど無い。当時はまだインターネットも無かったため、図書館や関係者から資料や論文を譲って貰うしかてはない。今と比べると情報収集はかなり手間がかかった。
その中でも意外に高校時代から使っていたのが今の若者は殆ど知らないであろういわゆる”パソコン通信”・・・その中でもNifty-Serveにあった鳥人間フォーラムは情報交換の場として非常に役にたった。現役鳥人間は少なくOBが多い印象ではあったが、特に同時期にチームをスタートしていた東京都立大学を初めとする数名の方々には、このフォーラムを通して多くのことを勉強させてもらった。
しかし、当時はまだまだCADも身近ではない時代。工房には製作に必要な道具は最低限揃ってはいるものの製図に必要な道具はなかったこともあり、申請書に向けた機体の図面化はおっちゃんメンバーの中の一人の増本(仮名)さんにお願いしていた。
ただ・・・体を動かす製作から入った自分達には図面がないと製作できないという意識は全くなく、身近にある材料を組み合わせながら手探りで製作には着手していた・・・ある意味、製作先行で図面は後追いで描いていたいたのが実態に近い。
正直いうと数ヶ月の学習から飛行機が設計できるようになるとは、この時到底思えなかったのである。航空宇宙工学科なんだから相談できる先生が沢山いるだろ??という突っ込みもあるかもしれないが、
航空宇宙工学科といえでも実際に飛行機を設計したことのある先生は・・・いない
かも、もっとも近いテーマを研究している学科の先生に入学時に全否定された手前、聞きに行くわけにもいかない。(ここは最低限の自分達のプライドってやつだったかな)
誰もそもそも論を語らない、語れない・・・目の前にあるものといえば過去の機体の映像とバルサ材、発泡スチロール、フィルムという材料とカッターナイフや接着材という道具のみ。
昨年は深田さんの指導のままに分け分からず作っていたが、今度はその中で学んだことを自分達なりに解釈して自分達で方針を決めて作る。つまり、製作という実践を通して体で学んで行くしかない。

結果的にこのアプローチが自分達の人力飛行に対する学びを飛躍的に加速させた
そんな日々を過ごしているうちになんとなく行けそうな気がしてきた。自分達の期待が琵琶湖の大空に舞い上がっていくイメージが描けるようになってきた。
同時にパイロット中尾のトレーニング成果も出てきて順調に力を伸ばしてきている。
飛べる!あとは無事書類審査に通りさせすれば・・・

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この時、自分の人生を大きく変えることになる波乱がこの後起こるなどとは全く想像もしていなかった。
20年経っただろうからもう時効だろう・・・だから当時起こったことをそのまま描きたいと思う。
この後の出来事を通して津嶋自身のパラダイムが大きく変わることになる。これが自分にとってもそしてこれからのWindMill Clubにとっても進化になる。
乞うご期待ください。

Written by Tatsuro Tsushima on 2016-07-25