《稼ぐ》ことと《働く》こと

日本にイノベーションが不足しているのは「教育」のせいにされることも多いが、これはさすがに乱暴な議論ではないかと思っている。世界に名だたるトヨタ、ソニー、パナソニック、ホンダの創業者たちはMBAなんていう学位を取っていないのははもちろんのこと、「起業家教育」や「イノベーション」について勉強してきたわけではないからだ。

しかし、しばしば比較される米国の教育と比べてみて面白いことに気がついた。
私は父親の転勤に合わせてアメリカの小学校と中学の一部に通い、帰国後、日本の中学・高校に通った。その後、3人の子供たちが日本の小学校に通って、2人は卒業している。2つの国の違いはありすぎて書ききれないのだが、創造性やビジネスという文脈で整理してを言葉にしてみたい。

働くことが尊い日本

日本では「働くこと」は尊いものとして小学生のうちから刷り込まれている。海外から絶賛されている教室の掃除当番や、給食当番など皆のために働くことはやって当たり前なのだ。しかも、班のため、クラスのため、学校のため、先生のために働くことが奨励されており、早くから社会性の高い労働に価値があると訓練される。

反面、「稼ぐこと」については一切触れない。「稼ぐこと」については無視されているか、むしろ「悪」だという雰囲気までできている気がする。自分たちが生活に必要なお金が社会でどう巡っていて、贅沢をするために必要なお金をどう獲得するかという視点は教室ではほぼ、ない。勤勉に勉強し、会社に就職しても勤勉に働いていれば、問題はないはずだという空気である。私が覚えている限り、唯一の例外が高校3年生のときのある現代社会の授業だ。うる覚えではあるが、資本主義と共産主義の比較の話をしていたのだと思う。そういう教科書的なテーマではあったが、学校の先生の給料のこと、高校の授業料の使い道のこと、高校を卒業した生徒がいくら稼がないと投資対効果がマイナスになるかなどを赤裸々に語ったのを覚えている。自分の記憶力と注意力の問題もあるとは思うが、「稼ぐこと」が社会にとって、自分にとってどういう意味があるのかを、日本の学校現場で聞いたのはこのときだけである。

 

稼ぐことが尊い米国

逆に米国では、「働く」ことを教えることはない。しかし、レモネードやブラウニーを手作りし、近所の人たちに売ることで「稼ぐ」ことは小さい頃から行い、賞賛されている。初めてそのようなアメリカの習慣に触れたときは、たぶん7〜8才だったと思うが、かなり戸惑った。どうしたらいいかわからなかったし、同い年の子どもが難なく目標の数倍のブラウニーを売り切った様子を見て驚きしかなかった。また、売ったブラウニーの売上高は競ったとしても、ブラウニーの出来栄え、作ったブラウニーの数、といった内容では競争がなかったことは、今から思うと凄い。

さらに、小学生で株式投資について学んだ。株とは何かを教えてもらった記憶はないが、とりあえず興味を持つようにバーチャル投資を行う授業があった。銘柄を一つ決め、その株価を毎日株価を教室に張り出すだけだ。もちろん、小学生には本当の意味で株を理解することを期待してはいないだろう。だが、何らかの興味を持って市場を眺める準備にはなる。新聞の株価欄にあった当時米国でも上場していた数少ない日本企業を見つけ、それを毎日追っかけたら結構上がって、日本人であることを誇りに思ったものだ。

日本からアメリカの学校を見て、明らかに無いものは3つある。1つは給食。もう1つは掃除、最後の1つは日直だ。日本では、給食の前には給食当番が給食室まで取りに行き、配膳をし、下膳をする。掃除も当番が教室の箒がけや雑巾がけをする。日直は、クラスを代表して黒板消し、挨拶、その他、先生の身の回りのサポートをする。アメリカでは給食はそもそもなく、家からランチを持参するし、掃除は生徒が下校したあとに業者が行う。日直という担当はおらず、クラスのための仕事というのもない。

 

「働くこと」と「稼ぐこと」

つまり、極端な言い方をすれば、日本では働くことが奨励され、教育されている反面、稼ぐことについてはほぼ放置。アメリカは逆に稼げばよくて、働くことなんぞは教えてもくれない。

外国人が日本に来ると、日本人の勤勉さに驚き、電車が定刻通りであることに驚き、日本人が外国に行くと当たり前だと思っていた仕事がなされないことに驚くのはあまりにも典型的だが、こんな背景があるのではないだろうか。勤勉さなら日本賞賛で済むところだが、稼ぎの低さについても密かに驚かれているのも事実だ。「このハイ・クオリティならもっと稼げる」と感じる外国人は少なくない。

決して働かずに稼ぐことを賞賛したいのではない。「働く」こと自体に美徳があることは私も認めるところだ。働かずに儲かったとしても、まさに「悪銭身につかず」「Easy come, easy go」。しかも、楽して稼ぐ「うまい話」を聞いて、泥沼に陥る話はあとを立たない。

しかも、「働く」ことは、大人になってから身につけにくい。「働く」ということは習慣に近いからだ。稼ぐことはその結果でしかない。さらに、一定額を越えると、稼ぎが増えても幸福感は増えないという。社会に貢献した仕事を継続してする方が、幸福感が得られという研究結果も数多くある。

「働く」ことだけを奨励し、「稼ぐ」ことを忘れると人はブラックになる気がします。

「稼ぐ」ことだけを奨励し、「働く」ことを忘れると人は不幸になる気がします。

 

 

Written by Shingo Tsuda on 2018-09-06