チーム+設計+実行

津嶋による昨年のこちらの投稿がちょっと前にかなり反響があったので、もう一回シェアしておきたいと思います。

鳥人間チームを立ち上げ、2度の優勝を成し遂げたあと、後進に何を伝えたのか?
人力飛行機というハードコアな勝負の世界で、新しい機体を考案し、つくり、飛ばした裏にあるチーム、設計、実行が過不足なく表現されていると思いませんか?

一つ一つの言葉が古くなっていないどころか、長い時間をかけ、変わらない本質がはっきりした今だからより価値を感じるのかもしれません。
学生時代にこれだけのことを言葉にして後進に伝えていることも正直驚きのポイントですが。。。
ものづくりに行き詰まりを感じたり、仲間をちょっとだけ信頼できなくなったり、現状にモヤモヤを感じたり、ちょっと違和感を感じたらぜひ読んで頂きたい文章です。

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Wind Mill の未来を創るために
津嶋 辰郎

1 チーム運営について
 今までしつこいほど繰り返している事であるが、「WindMill Club」というのは名ばかりで「クラブ」ではなく「チーム」である。なぜここまで「チーム」にこだわるかというと、活動内容から判断して「クラブ」という形態、または個人の意識レベルではやっていけないという考えがその根底にあるからである。
 ここ2、3年毎年大なり小なりチームのマネジメントにおける問題が生じている。これらのほとんどは「運営」「個人の意識」に問題があるように感じている。しかし、極限状態にある本人たちはその事に気づいていない。そこで、「チーム」とは何か?という事をもう一度考え直してほしい。
 このチームは「エンジニア」としてのトレーニングの場だけでなく、組織のマネージメントの実践の場でもある。リーダーをはじめとする幹部は、このことを常に頭に置いておかなければならない。どういった組織を作るのか、どうやってメンバーの意思統一をメンタルアップをするのか、資金繰りはどうするかなど考えることは山ほどある。これらの事が満たされて、初めてチーウとして機能するようになる。良いチームかどうかは、すべて「幹部」の人間にゆだねられているのである。そう考えると、ボーとしている時間なんか全くない。寝る前、トイレの中、大学の行きかえり、すべての時間を使ってでもチームのことを考えるぐらいでないと、これだけのことを満たすのは無理である。1年ぐらいそれくらいの覚悟が必要であることは意識してほしい。
 あと、必ず必要なのはメンバーお互いの「信頼」である。リーダーは「不在」というのは言語道断。活動には毎日参加するのは最低限のこと、メンバーより数倍は働くぐらいの意気込みが必要である。また、10の努力も1のサボりで帳消しになってしまう。活動がハードなときは「病気」ですら他のメンバーにとっては「言い訳、サボり」の口実にしか感じられないということを意識しておかなければならない。同期のメンバーは比較的簡単であるが、下級生、上級生の信頼の確保は決して容易ではないという事を感じて欲しい。
 次に幹部はこの信頼の下にメンバー一人一人の居場所を確保してやる。「一人一人が活動している。」「チームには自分が必要だ。」という事を感じさせなければならない。そのためには「適材適所」を念頭に、その個人の良さを生かすことができる役割を任せてやる。そういった目を養うことも必要である。
 これらを挙げていけばきりがないが、どこの大学もすべてこのマネージメントの失敗でつぶれている。それだけ、人力飛行機政製作チームの組織の運営が難しいということである。みんな悩んでいる。そういった中、うちがどこでアドバンテージを作るか?それが課題である。
2 設計について
 設計とは定められた制約の中で、目的とする最大の性能を発揮できる妥協点を探る作業である。しかし、様々なトレードオフの関係を考えているうちに、本来の目的を見失っていまうことが多い。そこで設計中は常に以下のことを念頭において欲しい。
  • 目標を達成することが可能であるか
  • コンセプトがハッキリと定められているか
  • 必要パワー、機速、サイズ、形状など…
もう今となっては古臭いものであるが、例として96年のB.B.の設計コンセプトを以下に示す。
  • 高い運動性を持つ
    →上半角を小さ目にとり、静安定を下げる。
    →ラダーの効きを高くとる(垂直尾翼アスペクト比と、翼面積の兼ね合い)。
    →プロペラ後流の速度増分を考慮。
  • 機速をやや高めに設定する (琵琶湖においての正対速度 2m/s以上を予測し 7.5〜8.5m/sに持っていくことを仮定)。
    →翼面荷重をやや大き目にする(リブ間隔との兼ね合いを考慮)。
    →機速によるプロペラの効率との兼ね合いを考慮(必要推力、必要馬力)。
    →○高アスペクト比による、誘導抗力の低減。
    →主翼(尾翼)平面形の検討。
  • 静ボリューム比の極小値の模索
    →静ボリューム比、動ファクターを小さくとってみる。
  • 主翼吹き降ろし、フェアリングの後流のプロペラへの影響を検討
    →できるだけ主翼からプロペラを離す(ドライブシャフトの長さの限界)
    →フェアリングの断面の検討
  • CFRPの軽量化
    →○主桁への曲げモーメント、せん断力、ねじりモーメントの計算。
    →○高弾性HR40の使用。
    →○CFRP強度の検討(積層順番の検討、繊維方向の検討)
  • 高性能プロペラの設計
    →○航技研のプログラムを使用
    →DAE51の採用
 設計者に必要なのは、物事の本質を見極める「目」と経験から導かれる「直感」だと考える。「今何が最も必要なのか?」「どこに最も時間を費やせば良いのか?」どれだけ寄り道せずに、機体が進んでいくべき「ベクトル」を見つけるか?これが重要なのである。これらの判断を下すには、幅広い知識は必要不可欠である。歴代機体、国内に限らず、世界中の機体について、つねにアンテナを張って情報収集は欠かさないようにするのは当然の事である。次に新たな試みをするにあたって、必ず押さえておかなければならないことは以下のようなことである。
  • 人力飛行機の技術的な変遷と歴史的な流れ
  • 歴代の機体の諸元、構造の理由
  • ◯歴代の機体の利点と欠点
  • 新たな試みによるメリット
3 製作について
 このところ作業の効率の悪さが目に付く。これらは「要領」の問題だと感じている。こだわるのもいいが、そのこだわりがどこまで重要かを考えてから作業に取り掛かるべきである。「設計製作:セッティング=50:50」ぐらいで考えてもいいのではないか。特に以下のことを念頭において作業して欲しい。
  • 作業はダイナミックにスピーディーかつ正確に!
  • 重要な部分はとことんこだわる。どうでもいいところはすばやく。
  • 構造や製作方法は修復、時間を考えできるだけシンプルに。
  • ボーっと作るのではなく、新しいアイデアを考えながら。
そもそも設計製作はクリエイティブな作業である。もっと自分のアイデアを盛り込んで、より発展を目指して行うべきだと考える。そのためにはメンバー一人
一人が人力飛行機について、幅広い知識をもたなければならない。ここ数年言いつづけていることであるが、もっと情報に貪欲になってもらいたい。今のM2の代が卒業すると、多くの知識が失われてしまうような気がしてならない。人力飛行機の世界も突き詰めていけば、非常に深くそして発展途上であることが分かると思う。このように感じられて初めて、「設計」をする資格ができたの言えるのではないだろうか。飛行機が分かっていない奴には、当然良いものを設計することはできない。その辺りの認識今のチームには明らかに欠けている。
 人力飛行機は今大きな壁にぶち当たっている。この壁を突破する可能性を持っているのは、君たちのアイデアなのである。今後の発展に期待している。
Written by Shingo Tsuda on 2017-01-18

鳥人間とおっちゃんブログ 第十話 運命の?!書類審査

無事機体設計を終え、大会に向けて作業を進める毎日をすごしていた3月、突然その日がやってきた。
工房に到着すると作業テーブルとして使っていた畳一畳サイズのベニヤ板の上に一枚の葉書が届いていた。先に到着していた中尾に何かと聞くまでも無く、それが今年の大会出場の可否を決める書類審査の結果であることはすぐに分かった。自転車から飛び降りてダッシュでその文面を見ると、

専門家による厳選なる審査の結果、落選と判断させていただきました
が〜ん・・・ し〜ん・・・ ち〜ん
自分の中で完全に時間が止まった。可能性はゼロではないとは思っていたとはいえ、想定という意味では、ほぼゼロでだったためバックアッププランなんて全く考えていなかった。
まず何より思いついたのは、チームリーダーとしての責任感からか

今年一年どうしよう・・・何をしてすごそうか・・・
である。悔しいとかそんなんじゃ無く感情としてはニュートラル、頭の中が真っ白とはまさにこういう状況をさしていうのではないだろうか。
そこにもう一人のメンバーの健ちゃんがやってきた。自分達の雰囲気を見て事を察したようだ。そこには言葉は殆どなかった。三人が放心状態で作業台を囲んでいるときに、おっちゃん代表の中野さんがやってきた。
 中野:「どないしたんや?人生終わったような顔して?」
 津嶋:「いや・・・書類審査に落ちました」

 (少し沈黙)

 中野:「ほ〜ん、それで理由は聞いたんか?」

 津嶋:「理由を聞く?? 理由を聞くって言ったって、葉書での通知ですよ。」

 中野:「それやったらなおさらやろ。そんな紙っぺらでおまえらは納得するんか?おまえらの思いはそんなもんなんか?」

 津嶋:「・・・納得って言われても、どうすることもできないじゃないですか??」

 (ちょっと興奮ぎみ)


 中野:「葉書には普通連絡先が書いとるもんやろ、事務局とかなんとか・・・納得できんのんやったら電話して理由を聞いたらええやろ。」

 (確かに・・・)

 津嶋:「でもこういうのって誰に聞いたら・・・」
 中野:「そりゃぁ審査した責任者と話したいってゆ〜たらええやろ。それかプロデューサーとかなんとかいうのがおるやろが。」
 
 津嶋:「中野さんもしかしてプロデューサー知ってたりするんですか?」
 中野:「俺が知るわけないやろ」

 (沈黙)

 津嶋:「つながりますかねぇ」
 中野:「そんなん知らんわ、俺には関係ない話やからな・・・おまえらの好きにせぇ〜や。わっはっぁ〜」
この会話を通してまず自分の中で雷が落ちた・・・葉書を見たときに事務局に電話してみるなんて思いつきもしなかった。

その一方、中野さんにも試されてる・・・とも感じた。ここは引き下がるわけには行かない、「では準備してから・・・」なんて言ったらまた一蹴されるに決まっている。一度深呼吸して、工房横の中野さんの奥さんが働く事務所の電話を借りて電話してみることにした。

プルプルプル・・・
 事務局:「はい・・・読売テレビ鳥人間事務局です」

 津嶋:「あ・・・はい。え〜・・・鳥人間コンテストの書類審査に申し込んだ堺・風車の会の者ですけれども」

 事務局:「はい。いかがいたしましたでしょうか?」

 津嶋:「あ・・・本日、審査結果が届いたのですが、結果は落選ということでした。でも自分達は本気でがんばっておりまして、今年は絶対飛べるって思ってるんです。落選の理由を聞きたいと思っておりまして・・・え〜そこで審査の関係者にお繋ぎ頂きたいと思っておりまして・・・」

 事務局:「少々お待ちください」

 (少し沈黙)

 事務局:「今回の結果は大変残念なのですが、そういうお問い合わせに対しては個別に対応はしないことになっておりまして、申し訳ありませんがお引き取りいただければと思います。」

 津嶋:「え〜、そこをなんとかお願い出来ませんか?一言でもお話が聞ければ自分達も納得できると思うんです・・・お願いします。」
 
(うん?何を言っているんだか分からないがとにかく必死に食らいつくしかない)
 
 事務局:「申し訳ありません」
ガチャン・・・プー、プー、プー

 中野さん:「ど〜やった?納得できる話は聞けたんか?」

 津嶋:「いや・・・個別には対応できないということで断られました。」

 中野さん:「わっはっは〜そうか。事務局もつめたいよなぁ〜。」
 
 (そんな笑われても・・・そもそも繋がると思ってなかったんじゃぁ??)
 
 津嶋:「普通こういうのって繋がるもんなんですか?」

 中野さん:普通??・・・そんなん普通なんかあるわけないやろ。あの手この手で繋げるんや。」

 津嶋:「・・・」
(まぁ言いたいことは分かりますが・・・そんなに手の内ないし・・・)
 
 (沈黙)
 
 中野さん:「で??もう諦めたんか?」

 津嶋:「え??・・・もう1回電話しても、同じことになりそうなので・・・」
 
中野さん:「はぁ?これやからおまえらはダメなんや。プロデューサーはどこに出社しとるんや?」

 津嶋:「まぁそりゃぁテレビ局じゃないですかね。」
 
 中野さん:「せやろ・・・テレビ局にはどうやって入るんや?」
 
 津嶋:「そりゃぁ入り口からですよね・・・(なんでこんなことを聞く??・・・もしや)」

 中野さん:行ったらええやん?その入り口に。毎日待っとったら会えるやろ。おまえら学生やし、大阪に住んどるんやからそれを活かさない手はないやろ。頭は使うためにあるんや、飾りやないで」

 津嶋:「(きた〜この突っ込み)・・・ですね。ちょっと作戦考えてみます」
再び自分の中に雷が落ちた・・・。自分の枠がこの瞬間一気に吹き飛んだ。これかぁ・・・自分がずっと違和感を感じていた・・・そしてなんか重いと感じていた枠、壁、錨・・・の存在に気づいた。
会いたい人に会うための手段・・・これを外せば選択肢はいくらでも考えられるじゃないか・・・しかし、こんなん本当にうまくいくんやろか??ありなんかなぁ??不安と疑問で一杯の中、プロデューサーにどうやって会うか?それを考えることにした。
その翌日、いろいろ考えたが結果的に正面突破以外の妙案が見つからず、早朝に社員用の通用口前にでも会えるまで毎日通うしかない・・・という覚悟で、テレビ局近くに住んでいた中尾とスケジュールを考え始めていた。
その時、中野さんから奥さんから、
「津嶋くん・・・なんか今日読売テレビから電話があってね、このプロデューサー宛に電話して欲しいという事みたいよ。なんやろね?」
あらら・・・どうやら会いたかったプロデューサー宛てに電話して欲しいとのことらしい。こっちの思いが伝わったのかな??よく分からないけど、とりあえず電話してみることにした。
わぉ!どういう事の変化か分からないが、どうやら会うだけは会ってくれるらしい・・・指定された日時に中尾と二人でテレビ局に訪問することを約束することができた。
そしてその日がやってきた。二人は当時まだ18歳、有名企業の・・・しかもテレビ局で打ち合わせをするというだけでも心臓バクバクのシチュエーション。しかも自分が挑戦しようとしている番組のプロデューサーに書類審査落選の撤回交渉をする?!という極めてチャレンジングな場に臨むことになったわけである。
 二人:「こんにちは」
 プロデューサー(P):「いやぁ、よく来たね。」

(あら・・・色黒の少し強面の方ですが、想像以上にフレンドリー)

 津嶋:「今日はお時間を頂きましてありがとうございます。」
 P:「要件は分かってるよ。ただ審査は専門家の評価を元に平等に実施されているからね。その結果として、君たちの機体は不完全という判断が下されていたんだよね・・・。」

 津嶋:「どの辺りが不十分でした??図面だけでは伝えられない事が沢山あると思うので、今日は他の資料や写真も多数持参しました。これらを見て頂ければ、飛ぶ機体だということを理解頂けると思っています。」

 P:「う〜ん・・・気持ちは分かるけどね、審査は基本図面だけで行われてるんだよね。補足資料があったとしても君たちだけ例外というわけには・・・」

 津嶋:「それは分かっておりますが、よろしくお願いします(とにかく思いを伝えるしかない・・・)」

 (沈黙)

 P:「まぁね。君たちの思いは分かった。ただ同じような理由で落選しているチームは沢山あるんだよね。君たちは、たまたま大阪にいたからこうしてここに来れているけど、そう簡単にこれないチームも一杯あるんだよね・・・ただ確約はできないけど、今考えていることをすべて図面上に描いてみて。一応、内部で再検討することだけは約束するよ」

 二人:「ありがとうございます。必ず納得していただく図面に仕上げます」
お〜!!!いけるかもしれない。帰りはこれを期におっちゃんに任せっきりだった図面を自分達でやろう。短期間にCADのオペレーションをマスターしてプロデューサーをうならせる図面を描くぞ!と心に決めて、二人で大興奮で帰路についたのである。
ここからはプラント設計をしていたおっちゃんメンバーの会社に通い、CADの使い方を教わりながら、以前はA3だった図面を大型プロッターを活用してA0サイズ(841mm×1189mmの大判)の図面の中にとにかく様々な情報を盛り込んだ図面を形にしていった。この辺り目標ができたら強いのが若い力である。おっちゃんメンバーにも協力してもらいながら毎晩夜遅くまでの作業を繰り返し、期限までに自分達としても納得のいく図面に仕上げることができた。
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そして約束の日時に大きな図面を抱えて自信をもって再びテレビ局に伺うことになった。
プロデューサーからは、なんと!
「思いと図面は受け取りました。君たちを応援したいと思います。」
その一言の後、社会を知るための尺度の持ち方についての考えを時間を掛けてお話いただき、ご自身が担当している他の番組の見学も約束してくれた。
落選の葉書を受け取ってたどん底からの怒濤の2週間・・・正直何が起こったのか、正直自分の中でもうまく整理がつかないでいた。
ただ・・・この2週間の自分達の行動で、我々の未来が180度変わった事だけは真実である。
笑顔一杯で工房に帰った。まず何より中野さんにその結果を伝えたかった。
 津嶋:「中野さん 今年出場できるようになりました!信じられません。奇跡ですよこれ。」

 中野:「何が奇跡や?!おまえ全然わかってへんなぁ。世の中は何でも自分達と同じ人間が決めとるんや。神様が決めてとるわけやないんや。おまえらがつかんだ結果やないか・・・奇跡なわけないやろ。分かったか?」

 中野:「・・・でも良かったな。」「プロデューサーは応援するっていうてくれたんやろ。今度はおまえらがその期待に応える番やぞ。約束は守るもんやで」
この一連の出来事は津嶋自身にとって人生への向き合い方のパラダイムを大きく変えることになった。
そしてこれをきっかけにしてWindMill Clubの活動は大きく加速して行くことになる。
そして何よりこの出来事の裏には、1年半後に初めて分かった真実のサイドストーリーがある。
気になるかと思うが、それはまだまだ先の回にとっておこうと思う。 
Written by Tatsuro Tsushima on 2016-07-27

鳥人間とおっちゃんブログ 第九話 大会への準備は、結構・・・いや、かなり地道で地味な毎日 後編

パイロット中尾がトレーニングに勤しんでいた一方、リーダー津嶋&他のメンバーも日々の過ごし方を試行錯誤していた。
大学に活動場所を確保したいという思いで、学生課の門を叩くも・・・新しい文化部連合所属クラブを作るとなるとまだ実績もないチームでもあり、ここ数年新規としては前例がないということで、具体的な検討にすら上がらない。学内にどこか拠点を・・・と活動場所の検討をお願いしても、部室の空き待ちで当分その予定はなしと断られる。
すぐに大学公式のクラブ化は難しいとしても、来年の鳥人間コンテストへのエントリーチーム名に大学名を入れても良いか?という問いに対しても、大学のダメっぷりが全国ネットで流れるかもしれない・・・可能性もあってか、
 いわゆるノーコメント・・・
である。
その当時はこれだけ自分達は本気だし、
 大阪府大という全国的には微妙なポジションでマイナーな?!大学を全国ネットの有名TV番組で大きく宣伝するいい機会になる・・・
という思いでやってるのになんで??なんで??という気持ちであったが、今思うとまぁ普通の大人の対応である。
大学側の調整は全く進みそうにないので、1年目の拠点は中野さんの会社の倉庫を工房とすることを決めて、バイトで行けない日を除いてここに通うことに決めた。しかし、実はこの工房中野さんの自宅と直結していたこともあり、工房に伺う日はほぼ毎日奥さんが夕食をメンバー全員に振る舞ってくれていた。
そして鳥人間の飛行機工房として認知が進むにつれその近所のおっちゃんやおばちゃん達とも仲良くなり、

「毎日がんばってんな〜」「今年はがんばってや〜」「応援してるで〜」
という暖かい言葉や様々な差し入れが届けられる空間になっていった。

これがこの工房が自分達にとっての
第二の自宅とも言えるほど思い入れが詰まっていった所以でもある。 

また機体製作に必要な工房とおっちゃん達のもろもろの支援はあるにせよ、いろいろ活動費用が掛かってくることを想定して、部費は毎月7000円と学生としては結構高めに設定した。今後新規に加わるメンバーからは高いだのなんだの常にクレームに繋がっていくことになるが、今思うとこれも活動に対するメンバーのコミットメントにもなっていたと思う。
鳥人間コンテストに出場するためには、活動としての大きなマイルストーンは、チーム層が厚かった当時倍率10倍とも言われていた(実際は知らないが・・・)非常に難関の
書類審査
というものを通過しなければならない。一年目は産官学連携チーム ×女性パイロットという話題性でなんとか突破できた実績があるものの、全く結果を残せなかった2年目のハードルはむしろ高くなっていることは誰にでも予想された。正直テレビ局の論理もよく分からなかった純粋な若者にとっては、
とにかく今年からは本気モードなので、確実に飛ぶ機体を設計する
という真っ正面突破的なアイデアしかなかった。
そのためには実績の高いスタンダードなトラクタープロペラ(機体の前方にプロペラを配置)レイアウトで、翼幅も25m前後で、駆動系もチェーン駆動という当時定番のスペックの機体でまず実績をつくる・・・というのがこの時に描いた青写真だった。
それに並行して活動として、
 ・そもそも人力飛行機ってなんぞやという最低限の知識

 ・飛ぶ機体の製作技術
を身につけていった。
しかし、人力飛行機を学ぶといっても世の中に一般的に出回っている資料は殆ど無い。当時はまだインターネットも無かったため、図書館や関係者から資料や論文を譲って貰うしかてはない。今と比べると情報収集はかなり手間がかかった。
その中でも意外に高校時代から使っていたのが今の若者は殆ど知らないであろういわゆる”パソコン通信”・・・その中でもNifty-Serveにあった鳥人間フォーラムは情報交換の場として非常に役にたった。現役鳥人間は少なくOBが多い印象ではあったが、特に同時期にチームをスタートしていた東京都立大学を初めとする数名の方々には、このフォーラムを通して多くのことを勉強させてもらった。
しかし、当時はまだまだCADも身近ではない時代。工房には製作に必要な道具は最低限揃ってはいるものの製図に必要な道具はなかったこともあり、申請書に向けた機体の図面化はおっちゃんメンバーの中の一人の増本(仮名)さんにお願いしていた。
ただ・・・体を動かす製作から入った自分達には図面がないと製作できないという意識は全くなく、身近にある材料を組み合わせながら手探りで製作には着手していた・・・ある意味、製作先行で図面は後追いで描いていたいたのが実態に近い。
正直いうと数ヶ月の学習から飛行機が設計できるようになるとは、この時到底思えなかったのである。航空宇宙工学科なんだから相談できる先生が沢山いるだろ??という突っ込みもあるかもしれないが、
航空宇宙工学科といえでも実際に飛行機を設計したことのある先生は・・・いない
かも、もっとも近いテーマを研究している学科の先生に入学時に全否定された手前、聞きに行くわけにもいかない。(ここは最低限の自分達のプライドってやつだったかな)
誰もそもそも論を語らない、語れない・・・目の前にあるものといえば過去の機体の映像とバルサ材、発泡スチロール、フィルムという材料とカッターナイフや接着材という道具のみ。
昨年は深田さんの指導のままに分け分からず作っていたが、今度はその中で学んだことを自分達なりに解釈して自分達で方針を決めて作る。つまり、製作という実践を通して体で学んで行くしかない。

結果的にこのアプローチが自分達の人力飛行に対する学びを飛躍的に加速させた
そんな日々を過ごしているうちになんとなく行けそうな気がしてきた。自分達の期待が琵琶湖の大空に舞い上がっていくイメージが描けるようになってきた。
同時にパイロット中尾のトレーニング成果も出てきて順調に力を伸ばしてきている。
飛べる!あとは無事書類審査に通りさせすれば・・・

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この時、自分の人生を大きく変えることになる波乱がこの後起こるなどとは全く想像もしていなかった。
20年経っただろうからもう時効だろう・・・だから当時起こったことをそのまま描きたいと思う。
この後の出来事を通して津嶋自身のパラダイムが大きく変わることになる。これが自分にとってもそしてこれからのWindMill Clubにとっても進化になる。
乞うご期待ください。

Written by Tatsuro Tsushima on 2016-07-25

鳥人間とおっちゃんブログ 第八話 実は結構、地道で地味な毎日・・・前編

初めての大会の悔しさをバネにやったるぞぉ!
と・・・活動をスタートしたわけではあるが、結局何から着手をしたら良いか分からない・・・。設計図もない飛行機をいきなりつくるわけでもなく、活動計画もそもそも設計、製作にどれぐらい掛かるかも検討もつかない。
とりあえずパイロット中尾はトレーニング、その他のメンバーは身近にある資料や飛行機関連の書籍をあさりながら人力飛行機はなんぞや??というそもそものところから勉強に着手したのである。
それはそれは、華やかな大会のイメージからすると極めて地味な毎日。

・・・自ら作業をつくっていかなければ何にもすることがないそんな感じである。
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2回目のチャレンジの桟橋にて:ここを目指すまでのストーリー

まずはパイロット中尾の1年目の試行錯誤の日々を紹介しよう。
初めての鳥人間コンテストが残念な結果で終わったおかげで単に「パイロットやりたいなぁ」という思いから「絶対に飛びたい!」という思いへ変わることができた。もしそこそこ飛んでいたら「こんなものか」となめていたと思う。
ということで悔しさをバネにパイロットを目指してトレーニングを始めることになったが・・・
今はネットで検索すれば自転車情報は山ほど出てくるが、当時はネットもなくスポーツ自転車自体がマイナースポーツで情報が少なかった。
それまで自転車といえばママチャリしか乗ったことがなく、自転車競技をやっている知り合いもいない。何が分からないかも分からない状態の中、手探りで進めていくほかなかった。
何はともあれまずは自転車がないと始まらない。しかし、学生は基本的に貧乏であるため、いきなりすべてのグッズを揃える余裕なんてない。スタートしたばかりのクラブにももちんお金がない・・・。
幸いにもおっちゃんの一人が乗っていないマウンテンバイクを譲ってくれることになった。
次は服装。
ヘルメットは前パイロットが使っていたものを譲り受けたが、あとは高校の部活で使っていたジャージにTシャツ、普通のスニーカーという全く自転車乗りらしくない格好で僕のバイクライフはスタートした。もちろんサングラスやグローブもない。
今は恥ずかしくてとてもそんな格好では乗れない。当時の写真が残ってなくて本当に良かった(笑)
とりあえず最低限の道具は揃ったのであとは練習あるのみ。
もちろん自転車の練習方法は全く分からなかったが「とにかく乗れば体力はつくだろう」ということで自転車通学(片道約20km)をすることにした。
こんな感じで恐らく必要最低限以下の装備と知識でパイロットに向けたトレーニングは始まった。
自転車通学を始めてすぐに困ったのは、当時大学未公認だったため部室のような拠点となる場所が学内になかったこと。
なので汗だくで大学に到着したら図書館のトイレで着替えていたし、教科書や辞書を毎日全てリュックに入れて自転車通学したがこれは腰がつらく、一週間もしないうちに「これではやってられない」と思うようになった。
そこで、当時大学から6kmぐらい離れたおっちゃん代表の中野さんの自宅倉庫を工房として使っていたのだが、そこに寄ってから大学に行くことにした。
朝工房まで自転車で行き(約22km)、工房に置いてあるエアロバイクを2〜30分こいでから着替えて大学に向かい、帰りも工房で着替えてから家に帰る。工房を拠点として荷物も置かせてもらうことでとても楽になった。
このパターンはしっくりきてパイロット時代はずっとこれで通すことになる。早い段階でよい生活リズムを確立できたことがトレーニングを継続できた一つの理由かなと思う。
通学というのも大きな強制力になった。
定期券をやめたので電車でいく時は自腹。そうなると貧乏学生としては少しでも交通費を浮かしたい。雨とバイトの日以外は何が何でも自転車に乗ろうという気持ちになる。
こうして自転車でトレーニングすることが習慣になっていった。
道具はバイト代を投資して少しずつグレードアップ。
最初はレーサーパンツ。やっぱり普通のジャージはバタバタして走りにくいしお尻も痛い。これに変えてとても走りやすくなった。
次はビンディングペダルとシューズ。それまでのスニーカー&トゥクリップとは雲泥の差の快適さだった。
そして、たまたま見つけた型落ちバーゲンセールのバイクジャージを購入。やっぱりTシャツよりも快適。一度着るともうTシャツでは走りたくなくなる。
こうして秋頃にはだいぶ自転車乗りっぽい風貌になってきた。そこでもう一つ大きな変化があった。
それはマウンテンバイクからロードバイクに乗り換えたこと。
これもおっちゃんメンバーの一人が乗らずに放置していたものを譲り受けた。こういうのには本当に恵まれていたと思う。ロードバイクのその軽い走りに感激しさらに自転車の乗るのが楽しくなった。
こうして、3〜4ヶ月経ってやっと「ロードバイクでトレーニングするパイロット」という今では当たり前な状況にまで辿り着くことになる。
一方でトレーニングはどうやっていたかだが、一応自転車雑誌などを見て「長い時間ゆっくり乗るのが基本」というのは知っていた。
しかし、長距離を走るロードレースではそれでよいと思うが、

当時の鳥人間コンテストの優勝記録は約2km、実際の飛行時間は5分ぐらい飛べば優勝が狙える距離である。

つまり高いパワーを短時間出す能力が求められるのでちょっと違うなと思った。それに通学練習が基本だから1時間以上のんびり乗る時間もない。
ということで、選んだ方法は「とにかく全力で頑張る」という根性論的なものだった(笑)通学コースもその方針を後押しした。
通学は大阪市内を縦断するコースだったので、朝の通勤時間はとにかく車と信号と違法駐停車が多い。
自転車は路肩を走れといわれるが、路肩は駐車車両が邪魔で走れない。自然と本線寄りを走ることになる。
そうなると車の流れに乗らないと危ないので嫌でも全力で走らざるをえない。
ということで、信号が変わるたびに全力で加速して車の流れに乗り、巡航状態にはいったと思ったら信号で停車、というのを繰り返すことなる。
当時は車が怖くて必死にやっていただけだったが、これは良いインターバルトレーニングになっていた。
トレーニングのもう一つの柱は活動拠点の工房に置いてある唯一のハイテクアイテムであったキャットアイ製のエアロバイクでのトレーニング
パワーと心拍数が測定できる夢のようなマシンだったが、当時は心拍トレーニングがやっと認知され始めた頃でパワートレーニングなんて影も形もなかった。なので、せっかく数字は出るもののそれをトレーニングにどう活用すればよいか全くわからなかった。
ただ、人力飛行機を飛ばすのに必要なパワーは280〜300W前後で、そのパワーを10〜20分も出せば優勝争いに加われることは予想できた。そうすると目標は自然と300W×20分に決まった。

この目標設定から振り返ると、当時から一応優勝するつもりはあったらしい(笑)
とはいえ始めた当初は200Wで10分できるかどうかというレベルで、いきなり300Wなんてとても無理。
大会まで時間もタップリあるので「精も根も尽き果てないぐらいのペースでやろう」と思い次のようなプログラムを考えた。
たとえば200W×10分間からスタートして翌日は11分、その翌日は13分と1分刻みで時間を増やしていき20分まで継続できるようになったら、次は230Wで10分からスタートして1分刻みで増やしていく・・・
キツさとしてはほぼ毎回全力を出さないとクリアできないぐらい。
でも初心者だったこともあり、この方法で当時は面白いように記録は伸びていった。
だた、エンジンの方は順調にパワーアップしていったがパイロットとしてのもう一つの重要な要素、操縦技術については春まで全くの手つかず。
当時は操縦の重要性が理解というか実感できてなくて「自転車にのるようなものだろう」ぐらいの感覚だった。実際にテストフライトが始まるとこの認識がいかに甘かったかを痛感することになる。
こちらの方はテストフライトの話でまた詳しく書こうと思う。 
後編につづく!
Written by Tatsuro Tsushima on 2016-07-16

鳥人間とおっちゃんブログ 第七話 大阪府立大学 WindMill Clubの始動


初めて参加した第18回鳥人間コンテスト
サポーターとして立候補してくれた友人達には「もちろん飛ぶから応援に来てね・・・TVに出れるかもしれへんし・・・」なんていわゆる典型的な集客コメントを振りまいていた。
もちろんこれらの効果はてきめんで、大学から応援バスのチャーターが必要なほど多くの友人や大学の近所の方々応援に来てくれたのだ。その辺りがさすが関西だと知らない人がいない人気番組?!お祭り好きの関西人にとっては、知り合いが出るというだけでのすさまじいインパクトである。
がしかし正直に白状すると大会前からまともなフライトができる可能性はないと思っていた。ただ心の中ではほんの僅かながらもしかしたら・・・奇跡がおこって少しは飛べるかも??という下心としての期待もあった。
ただ自分達としては、中尾は機体押し、そして津嶋は翼持ちとしてプラットフォームに上がることができただけでも一般視聴者からすると大変贅沢な経験ではあった。
ただ10mの高さから真っ逆さまに落下する機体を目の当たりにすると、何物にも代えがたいくやしさがこみ上げてきた。
それは結果にというより、こんな大舞台に来ているにもかかわらず、何もできていない・・・そしてやろうとしてもできない自分に対しての憤りだった。
そして100%当事者でないと、いくらお祭りであっても全く楽しめないという自分の性格を改めて再認識した。
やっぱり本気じゃないと全然楽しくない・・・。当然の結果だとはいえ、プラットフォームを意気消沈してトボトボ下りながら、例年は必ず良い機体を持ってきてやる・・・なんて大会前には全く考えられないぐらいの熱い思いがこみ上げてきていた。



琵琶湖には・・・あのプラットフォームには、一度上がると誰もが引き込まれてしまう魔力があったのである。
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これがいわゆる大舞台が人の心を揺さぶるというエモーショナルな魔力である。
この1年目のプラットフォームでのできごとがあったからこそ、
学生生活すべてをこの鳥人間に掛けてもいいという気持ちが決まった。

といっても過言ではない。単なるノリだけではその後の

というまで第一回大会終了時までの補足も含めた振り返り・・・。

そして大会終了後の今後どうするか学生メンバーそれぞれの思いを共有することになった。みんなもちろん鳥人間は好きだ・・・だからこそここにいる。でも学生生活すべてをコミットできるか??と問われると他のサークル活動、恋愛、バイトなどなど楽しそうな誘惑が一杯の中、簡単に決められるものではない。しかも

おっちゃん達は本気でやることを約束しないかぎり支援してくれそうにない
これはメンバーで合意していたかどうかは忘れてたが、いくつかのポリシーをおっちゃん達にコミットすることになった。
 ・ボチャンはしない
  (初出場の時やってしまった離陸後即墜落はしない・・・
   つまり、航空宇宙工学科の恥さらしはしないということ。
   残念ながらこの段階ではまさか優勝を目標にすべきだなんて夢にも思っていなかった)

 ・留年しない
  (留年したら即退部)

これは裏返せば、入学時に大学教授に言われた鳥人間コンテスト出場を勧めない理由そのものである。今思うとおっちゃん達もこの辺りは大学と自分達のことも考えてくれた上での決めごとにしてくれたんだと思う。ただ、この手のコミットは今後毎年増えていくことになるのだが・・・。
そんな中で大会に初出場を手伝っていた6名のメンバーの中で、本気でやろうと決めたメンバーは結局3名。後はサポーターとして間接的な支援をしてくれることになった。

個人的にはもう一人どうしても口説きたい仲間がおり、熱烈アプローチをしたが、こういうのは片思いでは成立しない。こういうのはいわゆる恋愛と同じである。口説いてどうにかなるものでもないというのも改めて感じた苦い経験でもあった。

チームの名前は”風車の会”をそのまま英語にし大学名を加えた

“大阪府立大学WindMill Club”
当時大学名でエントリーすることは大学側から認めれていなかった。しかし、いつか”大阪府立大学”という名前を自信を持ってテレビに出したい・・・自分としてはそれに非常にこだわっていた。このように無条件で母校を愛してしまうのも日本人ならではの忠誠心だったのかもしれない。 そしてそれはその2年後、大会新記録で総合優勝という結果を残した後に初めて実現することになる。

WindMill ClubのMが大文字なのがチーム名としての重要なポイントであるが、これはデザイン上のバランスといいつつ、WCだとトイレになるので、略語をWMCとするためもものである(笑)
機体のコンセプトとしてはとりあえず確実かつ無難に飛ぶこと・・・人力プロペラ機としては定番のレイアウト(トラクタータイプ)機体サイズでいくことを決定
そしてパイロットは元水泳部の「中尾 誠」・・・この能力は未定?!


こうして我々の2年目のチャレンジがスタートすることになる。

 

Written by Tatsuro Tsushima on 2016-07-05