鳥人間とおっちゃんブログ:第六話 初めての鳥人間コンテスト本番

鳥人間コンテストは今年でなんと39回目の大会を向かえる。これほどの長寿番組になるには、運営する側にも参加する側にも共に何か世代を魅力があるに違いない。そしてその魅力は・・・大会会場に来てみないと味わえない非日常なのである。
「びっくり日本新記録」というタイトルでスタートした初期の大会をご存じの方は、欽ちゃん仮装大賞ばりのコミックエントリー部門の無謀なダイブに爆笑していた印象が強いかもしれないが、この部門は10回大会から姿を消し、その後はメーカーのベテランエンジニアによる企業常連チームを中心として結構ストイックに?!記録を競う本気の大会にシフトしていった。
そして自分達が初出場した1994年の18回大会も人力プロペラ機部門ができて9回目になり、トップチームによって毎年飛行距離が更新され・・・大会当初からの夢であった琵琶湖を横断が実現が期待されるなど、まさに番組的にも参加者的にもエキサイティングな時期であった。
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初出場機体:Hornet lの図面

では初出場の堺・風車の会に話を戻すと・・・その後何度もテストフライトを重ねてはきたが、残念ながらこのエキサイティングな上位チームの争いにからめる可能性は全く期待できなさそうな状況で、大会10日前のミーティングを向かえていた。
 中野さん(&おっちゃん達):「これは飛ばんぞ・・・」

 中尾:「パワーは足らなさそうですが、
     実績のある機体だからプラットフォームからちゃんと押し出せば
     滑空ぐらいはできるんちゃいます?」

 深田さん:「まぁ、うまくテイクオフができれば・・・(苦笑い)・・・がんばりましょう!」

 津嶋:「・・・無言(フライトに対しては直感的に悲観的・・・
     でも大会に行くのは楽しそう(笑))」
人力飛行機の師匠の深田さんは機体づくりやテストフライトでは厳しい中でもいつも前向きだった。
どちらにしてもメンバーみんな大会は楽しみにしていたのは間違いない。鳥コンは全国ネットのテレビ番組でもあり、それを生で見れるというだけでワクワクしないわけはない。
その後恒例になるが、大会には場所取りとしての先発隊(実質は先行現地入りのくつろぎ部隊?!)と最後までトラックに荷造りをする後発隊の二手に分かれて大会会場に向かった。
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テレビでしか見たことのないプラットフォームは想像以上に高く大きい・・・それは生で見るだけでも興奮するものである。
もう時効だから問題ないと思うが、当時はプラットフォームには警備員もおらず、大会の前後の夜にコッソリ進入してダイブ可能であった(笑)まぁ暗闇の中での10mのプラットフォームから見下ろす琵琶湖の様子は、高所恐怖症でなくても足がすくむ怖さがあったが・・・馬鹿な学生連中がやることは全国津々浦々どこも同じである。
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大会前日は、審査員による機体の最終チェックが行われることがあり、大会会場の浜辺に一面に全国からの手作り飛行機が集まる祭典になる。多くのチームは現地最後の仕上げをしており、現在のように気軽に情報交換や交流ができない当時は、他チーム機体を偵察?!したり、チーム同士にとっては貴重な交流の場であった。そういう意味でも前日の夜には、各チームの有志が集まっての交流会なども開催されたりしていた。
「この中に自分も加わるのかぁ」 そう思うとやっぱりテンションが上がる。 自分たちの駐機エリア設営が完了すると、さっそく他の機体を見回りにいくことに。 他のチームの機体を見るのは本当に面白かった。
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垂直尾翼の調整中の中尾、津嶋と栗野さん
実際に自分も作ったからこそわかると思うのだが 、
 「あ、ここはこうやって作ってるんだ」

 「これは次の機体には使えるかも」
というところがたくさんあってメチャクチャ勉強になった。と同時に
 「これ、まだ全然できてないけどホントの飛ぶの?」
という機体もチラホラ。
 「こういうチームがボシャン(いわゆる真っ逆さまな墜落)となるところだな」
なんて上から目線(笑)で思ったりしていた。やはり優勝候補やパッと見て機体がきれいにできているチームは、辺で作業していない。 飛ぶところは事前に準備ができているということだろう。
今思うと機体を見れるのは今日しかない・・・という思いで集中して他のチームを観察していたからこそ、実は人力飛行機について一年で最もインスピレーションをもらう時間でもあった。
前日夕方はチームでの前夜祭で盛り上がった後、当時は参加者を招いての開会式が開催されていた。大会を彩る芸能人のパフォーマンスや過去のハイライト映像などが披露され、参加者にとっては気持ちをもり立てる非常に貴重なイベントになっていた。残念ながらこのところ10年はこの開会式は中止になってしまったのは非常に残念である。
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前夜祭の様子(左端に切れてるのが津嶋)
そしてついに僕らとって初めての鳥人間コンテストは大会当日を向かえることとなる。
ちなみに学生は宿なしの浜辺でのブルーシートやテントでの野宿・・・先発隊は最低三泊四日、長くて四泊五日の間、琵琶湖の湖岸で過ごすこととなる。当時は非常に楽しかった思い出しかないが、おじさんになった今は全くそそられない(笑)
そして大会当日。 鳥人間の朝は早い。 まだ薄暗い4時ごろには起き出して準備を始める。 機体の組み立て、最終チェックに直前ミーティングとやることは盛りだくさん。 テキパキと作業を進めていく。

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最終調整中の津嶋と中尾
そして何より大会への出場が如何に多くの方々の支えの上で成り立っているかを目の当たりにする・・・そう大会当日は1年の応援してくれた協力者の方々集結する唯一の日であもある。機体を組み立てる真剣で緊迫した空気と協力者の方々の期待が混じり合う・・・その雰囲気は当事者としてしか感じることができない1年の集大成が凝縮された最大のお祭りである。
その協力者の方々への最大の気配りとチーム運営を同時にこなすおっちゃんの姿は、さすがとしか言いようがなかった。
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メンバーと協力者の方々全員集合で記念撮影の準備
鳥人間というと青空の下で機体が飛ぶというイメージが強かったが、この日は天気が悪かった。 なんと小雨がぱらつくコンディション。 雨が降ると翼の表面に水滴がつくが、実はこれが翼の空力性能を極端に悪くしてしまう。 僅かなパワーで飛行する人力飛行機の場合、致命的なパワーロスにもなりかねない。
雨が降っているあいだは翼の下で雨宿りして、止んだらウェス(いわゆる雑巾布?!)で翼を拭くという作業をくり返す。20m以上ある翼を全部拭くのは大変だがここは手を抜くわけにはいかない。
プラットフォームに登ると場所の関係で翼を拭けなくなってしまうが、幸いにも我々のチームがプラットフォーム登るときには雨は上がっていた。
 
そうこうしている間にウチのチームがプラットフォームに上がる順番がきた。 いよいよ初プラットフォーム。 プラットフォームに続く桟橋を渡っているといやが上にもテンションは上がってくる。
「うわ、高い!」 プラットフォームに到着するとまず最初にそう思った。下から見るとそれほどでもないが、上に登るとその高さに驚く。
だが、 「ここから飛ぶのかぁ」 と感慨にふける暇はなくフライトの準備。やることは沢山ある。 が、インタビューを受けているパイロットの背後をわざわざ通ってテレビに映ろうとする余裕はあった(笑)
 
プラットフォーム上での中尾の役割はテストフライトと同じく機体を押すこと。 飛び立つ機体を真後ろから見ることができるので特等席だ。 津嶋の役目は左翼の支持。左右のバランスもテイクオフには非常に重要になる。全ての準備が整いパイロットが機体に乗り込む。
 
あとは審判長の赤旗が白旗に変わるのを待つのみ。 当時の風のコンディションは少し背風(追い風)で離陸には非常に不利な条件だったと思う。 この条件ではプラットフォームから出た直後は揚力が足らず機体は急降下してしまう。 そのためすぐに機種を上げるように操縦する必要があるのだが、 ・機首を上げすぎると失速して墜落 ・機首上げが不十分だったりタイミングが遅いとそのまま湖面に刺さる ということで非常にシビアな操縦を要求される。
だから離陸に失敗しているチームも多かった。 そして、もちろん我がチームのパイロットはそんな訓練は全くしていない(苦笑) そう、うまく離陸できたとしたらそれは奇跡ともいえるようなコンディションだった。
 
果たして奇跡は起こるのか?
 
いよいよ審判長の旗が白旗に変わる。 パイロットがカウントダウンを開始。プロペラの回転数も上がっていく。   

 「さん、に、いち、スタート!」 

緩やかな傾斜のついた滑走路を機体が進み出す。滑走路は短いのでせいぜい5,6歩ぐらいしか押せないがその数歩に全力をかける。

機体がプラットフォームから飛びだすと、高度が一気に下がっていく。 このままだとヤバイ。
そこで間髪入れず深田さんが 「アップ!!」 と大声で叫ぶ。 それが聞こえたのかパイロットが機首上げの操舵をする。 そうすると機首が上がる、いや上がり過ぎだ! 右翼が失速して機体が急激に右に傾く。
 
そして右翼の先端が湖面に接触、というよりも湖面に刺さったような状態になり急旋回して墜落。 その間、僅か数秒。 体感的にはもっと長く感じられたが、実際は「あ〜〜」 と叫んでいる間に終わってしまった。
パイロットは無事のようだったが、プラットフォーム上からバラバラになった機体を見るのは何とも言えない気持ちだった。
ただいまの堺・風車の会の記録は・・・”51.26m”
 
うなだれている自分達に追い打ちを掛けるような、アナウンスが流れる・・・。
(余談だが、この小数点以下の数字まで読み上げる響きが実は記録アナウンスを非常に味わい深くしている・・・)
一応計測不能にはならなかったが飛んだとは言えない。 まさかのボシャンだった。
意気消沈してトボトボとプラットフォームから降りていくとさらに悔しさがこみ上げてくる。
 中尾:「自分が乗ってればもうちょっと何とかできたんじゃないか?」 

    「来年は笑顔でプラットフォームを降りていきたい」

 津嶋:「やっぱり奇跡なんてなかった・・・これはある意味分かっていたこと。」

    「単なるテレビ番組であっても、勝負は勝たないと面白くもなんともない
     ・・・やるなら勝ちたい」 


 おっちゃん達も「まぁしゃあないな・・・」という表情ではあったが、

この時ばかりは心なしか沈んでいるように思えた。

ただ、
僕らの心の中にはこの時本気スイッチが入っていた・・・

片付けを終え家路についたころにはもう来年の機体を考えていた
そんな思いを募らせながら、初めての鳥人間コンテストは終わっていった。
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初代堺風車の会のコアメンバー@テレビ放映会にて
そうして僕らの青春のスタートとなる大阪府立大学WindMill Clubの設立と本当の意味でのチャレンジがスタートすることとなる。
ようやく次回から本編スタートです(笑)・・・乞うご期待 

Written by Tatsuro Tsushima on 2016-01-19

鳥人間とおっちゃんブログ:第五話 初めての鳥人間にむけて “初めてのテストフライト”

鳥人間コンテストの番組を知っている方でもこの”テストフライト”を想像できている方は少ないのではないだろうか。
毎年プラットフォームから、翼が真っ二つに折れたり、バラバラになりながら墜落するシーンが印象的なことからも、ぶっつけ本番で飛ばしているんじゃないかと想像している方が殆どではないだろうか?
しかし、実際上位チームは広場や早朝の空港を活用して数十本のテストフライトを経て大会に望んでいる。プラットフォームからの離陸は一か八かのギャンブルではなく、このテストフライトを通した調整の賜なのである。
ずばり、
“テストフライトを通した調整および改良”
が設計同様に・・・いや素人集団にとってはむしろ設計以上に重要なのである。
・・・と格好良く書くとさもロジカルで計画的なテストをこなしているように思われるが、何も知らない我々のテストフライトはもちろん散々なものであった。
テストフライトは朝凪と言われる風の少ない早朝に行われる
人の全力疾走程度・・・いわゆる飛行機のイメージとしては激遅(設計速度は6.0〜8.0m/s程度・・・風速予報と比べてもらえれば分かるが、日常的に風が強いと感じる日だと全く進まない程度)の人力飛行機はそもそも無風が最も適している。
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恐らく実物を見て最も驚くのがその大きさ。翼幅が20〜30m(約100名乗車のボーイング737の翼幅が30m)ある機体は運搬、保管用に通常バラバラに分解できる構造になっている。
慣れれば30分程度で組み立て可能になるが、手際の悪い初心者チームはキャーキャー言いながら1時間は掛かる。そのためテストフライト日は外は真っ暗な早朝3時〜4時に集合し搬送、組み立て眠い目をこすりながらの作業が始まる。
深田さんの機体をお借りして女性向けに再設計した、我々の初号機Hornet L (LはLadyのL)の初フライトは、大阪府立大学のグランドで行われた。
当時の活動場所は大学から6km程度離れたところにある、おっちゃん中野さんの会社の倉庫の片隅を借りて活動していたこともあり、おっちゃんメンバーの一人の運送会社の4tトラックを活用して運んでいた。実はこの機体の積み降ろしも慣れるまで結構大変・・・(先々自分がレーシングカー業界に就職した後も毎回レースに向けたこの積み降ろしは大変だった(笑))
では念願の初フライトの模様を未来のパイロットである中尾視点でお伝えしよう!
前日に搬送のためにトラックに機体を積み込む時は、
 
「人力飛行機が飛べる姿を初めて目の前で見れるんだ!」
 
とワクワクした気持ちだった。
 
この時点ではそもそも昨年準優勝した機体だしアドバイザーの深田さんもついてるんだから飛ばない理由はないだろうと思っていた。ドキドキの初テストフライトの日の天候は晴れ。風もなく申し分ないコンディションだった。
 
屋外での機体の組み立てには少々手間取ったが、初めて完全に組み上がった機体を見るとその大きさにちょっと感動。
 
「おおきい!これが飛ぶのかあ〜」
 
とどんどんとテンションが上がってくる。
 
人力飛行機のテストフライトでは、パイロット以外に左右の主翼を支える翼持ちと離陸まで機体を加速させる機体押しという人員が必要となる。フォーメーション的には、高校時代もバリバリ体育会系の中尾と中野さんは機体押し、津嶋は右の翼持ちという役割分担。
 
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パイロットの女性が機体に乗り込み、まずはテスト滑走。小さい2輪の車輪の機体を土のグラウンドを押すと思ったより重い。
 
でもそれに負けずにグイグイと加速すると主翼が風を受け上にしなりはじめる。
 
「おお、飛びそう」
 
このまま飛ばしたい気分だったがとりあえず1本目はこれで終了。特に機体に問題はなさそうだったので、次はいよいよ本番。
 
再び機体は加速していく。速度が十分に上がってきたところで深田さんが、
 
「アップ!」
 
と叫ぶ。”アップ”とはパイロットが水平尾翼を操作して機首上げし機体を離陸姿勢にすること。
 
そうすると機体がブワッと浮き上がった。
離陸すると地面からの震動がなくなるのですぐにわかる。
 
「浮いた!」
 
と誰かが叫ぶ。みんな走りながら
 
「おお、飛んだ!スゴイ!スゴイ!」
 
と大興奮。
 
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そして着陸。
 
実際には滞空時間はほんの数秒で「飛んだ」というよりは「跳んだ」という感じだった。
 
しかし、その時はもっと長い時間飛んでいるように感じた。それほど地面から離れたことが感動的だったのだろう。
 
フライトの後も
 
「おお!ちゃんと浮くやん!」
 
とみんな大喜びだったと思う。
 
ただ、何度か繰り返していくうちに徐々にその感動は薄れ
 
「あれ??」
 
と思うようになる。
 
まったく飛距離が伸びなかったからだ。
 
何度やっても浮いてはすぐに着陸の繰り返し。まともなフライトができない。
 
原因はプロペラの推力不足
 
プロペラの推進力ではなく機体押しのパワーで進んでいるので、離陸して機体押しが抜けると速度を維持できず着陸してしまう。
パイロットのパワーかプロペラがダメかのどちらかだ。今回のプロペラは実績があるものを使っているのでパイロットのパワー不足という可能性が濃厚だった。
 
今ならこのように原因はすぐにわかるが当時はこんなこと考えも及ばない。
何が悪いかわからないままに、「今度こそ、今度こそ!」と機体を押し続けたのでさすがにみんな疲れてきた。そんな時に着陸時に前輪が破損したことでテストフライトは終了。
 
ただ大空に羽ばたくようなイメージと若干違う飛びっぷりに少しモヤモヤはあった。
しかし、とにかく機体が浮くことを確認できたので、初フライトやしこんなもんやろ・・・とその日は一応の充実感を持ってテストフライトを終えることができた。
 
とほっと安堵していた我々対してに深田さんはずばっと、

 「今日は飛んだとはいえませんね・・・」
 
 「単なるジャンプです」

 「いわゆる凧揚げと同じです」
という厳しい指摘を受けることになった。
確かに写真を見るとまるで翼持ちが凧を揚げているかのようにみえる。これでは飛行機のフライトとは言えない。
 
こうして実際に飛ばしてみて人の力で飛ぶことの大変さが徐々に実感できるようになってきた。
 
その後も大会まで週末の早朝に学生とおっちゃん合わせて十名程度が何度も集まってテストフライトをくり返すが結果は毎回同じ。
大会を目前に控えメンバーの雰囲気もだんだんと
「これで本番に飛べるのか?」
という感じになってくる。
 
中尾も最初の頃は典型的な工学部生の期待として(?)「機体がよければ誰が乗ってもある程度は何とかなる」と道具の比重が大きいイメージをもっていたが、現実を見るとパイロットも同じぐらい重要な要素だと思い始めるようになった。確かにどんな乗り物でもエンジンはキモとなる部分だ。人力飛行機はそこが人間である。そこがパワー不足ではどうにもならない。
 
ただ当時のパイロットの女性を責めることはできない。パイロットに必要な体力レベルやどんなトレーニングが必要かといったことをまったく考慮せず、テレビ的な”話題性”だけで決めたのだから・・・。 
とはいえ津嶋もそのトレーニングの様子を横目で見ながら、
これじゃぁアカンやろって・・・
自分がパイロットやったら死ぬ気でやるけどと正直思っていた・・・と同時に中尾も、
「もし僕が代わりに乗ればもうちょっといけるのでは・・・」
という思いが強くなってきていたのは確かだった。このときのモヤモヤした気持ちも後のパイロットへのモチベーションに繋がっていった。
こんな満足なフライトができないまま、我々、堺・風車の会は初めての鳥人間コンテストを向かえることになる。 
初めての鳥人間会場でみたものは・・・乞うご期待
Written by Tatsuro Tsushima on 2015-11-24

鳥人間とおっちゃんブログ:第四話 初めての鳥人間にむけて ド素人集団の奮闘

“共感”
・・・何に取りかかるにも本気になるためにはこれが何よりも重要だと思っている。
おっちゃん達が活動を開始していた”堺・風車の会”は確かに人力飛行機をつくろうとしていたが、津嶋の直観としては何か物足りないものを感じていた。大学生活をすべてかけてここに全力投球するには何かが足らないと思った。これが実はおっちゃん達との初対面の儀式の時に”やります”と腹の底から答えられなかった最大の原因でもあった・・・。
しかし堺・風車の会は、
  ・大阪堺市の産官学連携チーム
  ・人力飛行機では珍しい女性パイロット
という2点をキャッチコピーとして、実績のない初出場チームにとって最大の関門である書類審査を突破していた。こういう審査にとって初出場チームにとって重要なのは、今も昔も変わらず
“話題性”
である。当時の司会者は桂三枝(現:六代桂文枝)であり、大阪ど真ん中の読売テレビ主催の番組が、単に本気で飛ぶ飛行機を持むだけでは歓迎されるわけではない。
そうした中、特に女性パイロットというのは、当時も(今も)珍しく非常に話題性のあるネタであることは間違いなかった。ただ多少体重が軽い分有利になるとは言え、機体全体の重量とすれば10%程度の軽量化にすぎず、実際飛行するのに200W前後の高いパワーを出せる体力を身につけるには相当な高負荷トレーニングが必要になる。女性パイロットが、少ないなりの理由ははっきりしていた。
今思い出しても当時の自分にも一つだけ、他人に比べて感度の高いセンサーがあったと思う。小学校時代に剣道で全国優勝を実現するプロセスを通して、図らずして身につけていた”勝負に対する勝ち筋観”である。
競技に出るなら勝ちたい
・・・この時も本能的にそういう目でチームを見ていた。
つまり、当時も勝負にこだわっていた自分にとって、かっこ良く言うと

“大学生活をかけて全力を尽くせば優勝を目指せる”
・・・その可能性を感じなかった。
素直に言い換えると
ミーハーにテニスサークルに入って、
女の子と楽しい大学生活を越える
力を感じなかった


というのが津嶋の第一印象であった(笑)
しかし、この印象は後々初めての鳥人間コンテストを経験することで大きく変わることになる・・・。

しかし、初めからそんな贅沢も言ってられない。鳥コンにでるためにはその他の選択肢は無いわけだから、腹はまだ決まらないかもしれないけど、

おもしろそうだからとりあえずやってみるか・・・
始めるきっかけなんてその程度のノリである。

チームの実態に戻ると、実際自分達だけでなく、中小企業のおっちゃんも人力飛行にとってはど素人。思いのあるメンバーが集まっただけで飛ぶ飛行機が作れるほど世の中そんなに甘くない?という中、おっちゃんらしい初対面での

「鳥人間にでたいんやけど、飛行機貸してくれんか?」
という直球アプローチで支援者としてまきこんでいたのが、自分達にとって人力飛行機の師匠となる深田さん(仮称)であった。
深田さんは職業的な飛行機のプロという訳でなく、関西の某鉄道系デパートに勤務しながら独力で自宅の倉庫で人力飛行機を製作し何度も大会に出場していた知る人ぞ知る、いわゆる”人力飛行機オタク”である。

制約の多い環境でゼロからやってきたからこその職人的な厳しさとこだわり

そして一人ですべてを把握しているからこそできる全体観のある指導



は今思うと指導者としては最高の方だったことは間違いない。しかし、当時の自分達にはその指示の恐らく半分も理解することはできず、なんかつっこまれてばかりの毎日・・・。当時、如何に素人だったかという中尾のエピソードを紹介しよう。

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当時の深田さんと津嶋と中尾(左から)・・・(^^ゞ
我々が加わった5月に対して大会まではもう2ヶ月程度しか残っていなかったが、完成度は主翼は8割程度、尾翼は影も形もなかった。人手不足で作業は遅れており、このままでは大会までに完成するかどうかも危うい状況だった。
とりあえず当面の目標は、1週間後に大仙公園で催されるイベントで機体展示するので尾翼を作ること。尾翼が無いと展示してもカッコがつかないということらしい。
もちろん飛行機なんて作ったことがないのでおっちゃん代表の中野さん素朴に質問をしてみた。
 中尾:「尾翼って1週間ぐらいでできるんですか?」

 中野:「そんなもんやったことないワシに聞くんか?聞く相手まちがっとるやろ?おまえはやれるんか?」

 中尾:「え?あ、いや・・・分かりませんがたぶん・・・」

 中野:「そうか、じゃぁ頑張れ」

 中尾:「え?あ、はい、頑張ります」
こちらが質問したつもりがいつの間にか「やります宣言」になってしまい、1週間毎日終電ギリギリまで尾翼作りに精を出すことになった。
何でもやれば出来るもので、1週間で尾翼は完成!無事に展示には間に合った。そう、展示には・・・
やはりシロウトの突貫工事。
完成した尾翼はなんとリブをつける順番を間違えて設計とは違う形に。
第4話図(金魚尾翼).png
普通に図面を見ればこんなミスするはずがないと思うのだが、チェックする人が居ないとこんなものなのかもしれない。大会を2ヶ月前に控えているにも拘わらず、如何に我々がど素人だということが分かっていただけると思う。
この尾翼は金魚のしっぽみたいということでメンバーからは金魚尾翼と呼ばれテストフライトにも使われたが、本番を前に作り直しとなった。こうして中尾が手がけた初作品は大失敗になってしまったが、期限内で完成できたことだけは大きな自信になった。
こうしたギリギリの期限に追いかけられる中での
マニュアルのない試行錯誤の積み重ね
が、実は自分達にとってこの上ない最短時間での人力飛行機学習に繋がっていった。
 
Written by Tatsuro Tsushima on 2015-11-12

鳥人間とおっちゃんブログ:第三話 出会いとはじまり 出会いの儀式

関東の方は同じに思えるかも知れないが、岡山と大阪の文化圏、言語圏は全く異なる。岡山県民は関西人ほどのノリもなくむしろ排他的。言葉のイントネーションにはあまり抑揚が無くむしろ関東に近い。そういう自分にとって大阪の初対面からフレンドリーで、とにかく何か話をするときには常に”ぼけ”なければ場に入っていけないように感じる文化はかなり新鮮だった。
ただ個人的にはこの関西文化と出会えたことが、”津嶋くんはハードボイルド?!”というレッテルを貼られて、渋めなキャラ?!を演じてた中高時代に押さえていた本当のキャラを徐々にデビューさせていくことになる(笑)
話を本題に戻すとおっちゃん達は、そういう大阪の中でも岸和田の”だんじり祭り”でも有名な河内エリアに近い、堺市の中小企業の経営者と商工会議所の面々。そしてそのおっちゃんの中での中心人物である、中野さん(仮称)は見た目はゴルゴ13ばりの眼球するどい目つきと眉毛の濃さ・・・さらに加えてドスの効いた低い声。
これからの活動拠点になる運送会社の倉庫を学生数名で初めて訪れた時も、毎年新人への恒例となる儀式の洗礼をあびることになった。
学生:「こんにちは〜、初めまして今日は見学させてください」
という挨拶に対して初対面など関係なく、いきなり突っ込みが山のように帰ってくる。
中野:「おまえは誰や?まず名を名乗れ」
津嶋:「津嶋です」
中野:「ここに何しにきたんや?」
津嶋:「え・・・今日は飛行機製作を見学させていただこうかと・・・」
中野:「そんなんわかっとるわ。おまえは何がやりたいんか?ときいとるんや」
津嶋:「鳥コンに出たいと思ってまして・・・」

中野:「それは本気なんか?どこまで本気かここで見せてみろ」
津嶋:「本気さを見せる?・・・ですか??」「え〜っと・・・」

中野:「ちゃんと見せられんのか?おまえ見とったら全然本気さが伝わってこんわ。そんなやつはいらんわ」
中野:「それからおまえなにへらへらしとるんや、冗談は顔だけにしろよ」
津嶋:「・・・」
 <静かな時間が経過>
中野:「おまえ今日は手伝いにきたんとちゃうんか?そんなところでボーッとつったっとらんとこっち来てこれもっとけ」
津嶋:「あ・・・はい」
という支離滅裂?!にも思えるコミュニケーション。
実はこれから様々な場面で何度も繰り返されるこれらのつっこみは、
“自分自身の本心と向き合うきっかけとなる問い”
になっていった。
繰り返し自分の心と向き合う事で、津嶋自身も自分の強さと弱さを知り自分の思いと力を解放できるようになっていくことになる。 

つづく・・・

Written by Tatsuro Tsushima on 2015-10-16

鳥人間とおっちゃんブログ 第二話:出会いとはじまり パイロット中尾の場合





今回のお話に登場するもう一人がパイロットだった中尾。


生い立ちをすこし書いておくと、生まれは大阪市内、町工場の4人兄弟の末っ子に産まれる。末っ子だったためか、勉強や進路について親からあれこれと言われることはほとんどなく、自由気ままに過ごさせてもらった。

生の時は体育が全くできず、自転車には小学3年生まで乗れなかったし逆上がりもダメ、腕相撲でも女子に負けるぐらい。 読書と図工が大好きな典型的なインドア派の小学生だった。

幸いにも小学校の担任は図工に力を入れている先生ばかりで特に絵はいろいろと指導していただき、市長賞をとったり小学校の創立100周年記念誌の表紙を書いたりと、図工好きとしては楽しい経験を積ませてもらえた。このあたりの経験が創造性をはぐくんでくれたんじゃないかと思う。


中・高になると何故か運動に目覚め、図工からは遠ざかり陸上部や水泳部という体育会クラブでの活動にどっぷり漬かった生活に。特に水泳部は厳しかったがメンタル的にも肉体的にも鍛えられた。これが後のパイロットにも生かされているのだろう。


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とはいえ、当時は鳥人間コンテストのことなど全く頭になく、乗り物や機械全般は大好きだったが何が何でも飛行機というほどの飛行機好きでもなかった。


だから大学も機械系ならどこでもよかったが、たまたま大阪府立大学の航空宇宙工学科が推薦入試をしていたのを発見。「年内に決まったらラッキー」という乗りで受験したら合格してしまった。

こんな感じだから合格時点では鳥人間コンテストどころか「飛行機飛ばしたい」なんてことも全く頭になかった。


そんな僕に鳥人間コンテストを思い出させてくれたのは同じ水泳部の友人の一言だった。 確か卒業式のあとに喫茶店でみんなで喋っていたときのこと。


「中尾、航空宇宙工学科に行くんやったら鳥人間コンテストに出てくれよ。おまえがパイロットになって『飛びま〜す』とか言ってテレビに出てたらおもろいんやんけ」

 

と冗談まじりに言ってきた。 その時は


「確かにおもろそうやけど航空宇宙工学科ってそういう活動するところとちゃうと思うで・・・」


否定的に答えたが、直感的に「これは面白そうなネタだな、楽しめそう」と感じた。高い志も憧れもないが、このときの「面白そう、楽しめそう」という感情が原動力となって以降の行動を支えていたように思う。


こんな思いを持って学生生活はスタートし、前回の話のように多少凹むこともあったりしたがトントン拍子に話は進んで5月には実際に飛行機作りをしているチームと出会えるチャンスが回ってきた。


この時は、あんなに変わったおっちゃん達と出会うとは思ってもみなかった。

 

Written by Tatsuro Tsushima on 2015-10-14