鳥人間とおっちゃんブログ:第三話 出会いとはじまり 出会いの儀式

Written by 津嶋 辰郎 on 2015-10-16

関東の方は同じに思えるかも知れないが、岡山と大阪の文化圏、言語圏は全く異なる。岡山県民は関西人ほどのノリもなくむしろ排他的。言葉のイントネーションにはあまり抑揚が無くむしろ関東に近い。そういう自分にとって大阪の初対面からフレンドリーで、とにかく何か話をするときには常に”ぼけ”なければ場に入っていけないように感じる文化はかなり新鮮だった。
ただ個人的にはこの関西文化と出会えたことが、”津嶋くんはハードボイルド?!”というレッテルを貼られて、渋めなキャラ?!を演じてた中高時代に押さえていた本当のキャラを徐々にデビューさせていくことになる(笑)
話を本題に戻すとおっちゃん達は、そういう大阪の中でも岸和田の”だんじり祭り”でも有名な河内エリアに近い、堺市の中小企業の経営者と商工会議所の面々。そしてそのおっちゃんの中での中心人物である、中野さん(仮称)は見た目はゴルゴ13ばりの眼球するどい目つきと眉毛の濃さ・・・さらに加えてドスの効いた低い声。
これからの活動拠点になる運送会社の倉庫を学生数名で初めて訪れた時も、毎年新人への恒例となる儀式の洗礼をあびることになった。
学生:「こんにちは〜、初めまして今日は見学させてください」
という挨拶に対して初対面など関係なく、いきなり突っ込みが山のように帰ってくる。
中野:「おまえは誰や?まず名を名乗れ」
津嶋:「津嶋です」
中野:「ここに何しにきたんや?」
津嶋:「え・・・今日は飛行機製作を見学させていただこうかと・・・」
中野:「そんなんわかっとるわ。おまえは何がやりたいんか?ときいとるんや」
津嶋:「鳥コンに出たいと思ってまして・・・」

中野:「それは本気なんか?どこまで本気かここで見せてみろ」
津嶋:「本気さを見せる?・・・ですか??」「え〜っと・・・」

中野:「ちゃんと見せられんのか?おまえ見とったら全然本気さが伝わってこんわ。そんなやつはいらんわ」
中野:「それからおまえなにへらへらしとるんや、冗談は顔だけにしろよ」
津嶋:「・・・」
 <静かな時間が経過>
中野:「おまえ今日は手伝いにきたんとちゃうんか?そんなところでボーッとつったっとらんとこっち来てこれもっとけ」
津嶋:「あ・・・はい」
という支離滅裂?!にも思えるコミュニケーション。
実はこれから様々な場面で何度も繰り返されるこれらのつっこみは、
“自分自身の本心と向き合うきっかけとなる問い”
になっていった。
繰り返し自分の心と向き合う事で、津嶋自身も自分の強さと弱さを知り自分の思いと力を解放できるようになっていくことになる。 

つづく・・・

鳥人間とおっちゃんブログ 第二話:出会いとはじまり パイロット中尾の場合

Written by 津嶋 辰郎 on 2015-10-14





今回のお話に登場するもう一人がパイロットだった中尾。


生い立ちをすこし書いておくと、生まれは大阪市内、町工場の4人兄弟の末っ子に産まれる。末っ子だったためか、勉強や進路について親からあれこれと言われることはほとんどなく、自由気ままに過ごさせてもらった。

生の時は体育が全くできず、自転車には小学3年生まで乗れなかったし逆上がりもダメ、腕相撲でも女子に負けるぐらい。 読書と図工が大好きな典型的なインドア派の小学生だった。

幸いにも小学校の担任は図工に力を入れている先生ばかりで特に絵はいろいろと指導していただき、市長賞をとったり小学校の創立100周年記念誌の表紙を書いたりと、図工好きとしては楽しい経験を積ませてもらえた。このあたりの経験が創造性をはぐくんでくれたんじゃないかと思う。


中・高になると何故か運動に目覚め、図工からは遠ざかり陸上部や水泳部という体育会クラブでの活動にどっぷり漬かった生活に。特に水泳部は厳しかったがメンタル的にも肉体的にも鍛えられた。これが後のパイロットにも生かされているのだろう。


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とはいえ、当時は鳥人間コンテストのことなど全く頭になく、乗り物や機械全般は大好きだったが何が何でも飛行機というほどの飛行機好きでもなかった。


だから大学も機械系ならどこでもよかったが、たまたま大阪府立大学の航空宇宙工学科が推薦入試をしていたのを発見。「年内に決まったらラッキー」という乗りで受験したら合格してしまった。

こんな感じだから合格時点では鳥人間コンテストどころか「飛行機飛ばしたい」なんてことも全く頭になかった。


そんな僕に鳥人間コンテストを思い出させてくれたのは同じ水泳部の友人の一言だった。 確か卒業式のあとに喫茶店でみんなで喋っていたときのこと。


「中尾、航空宇宙工学科に行くんやったら鳥人間コンテストに出てくれよ。おまえがパイロットになって『飛びま〜す』とか言ってテレビに出てたらおもろいんやんけ」

 

と冗談まじりに言ってきた。 その時は


「確かにおもろそうやけど航空宇宙工学科ってそういう活動するところとちゃうと思うで・・・」


否定的に答えたが、直感的に「これは面白そうなネタだな、楽しめそう」と感じた。高い志も憧れもないが、このときの「面白そう、楽しめそう」という感情が原動力となって以降の行動を支えていたように思う。


こんな思いを持って学生生活はスタートし、前回の話のように多少凹むこともあったりしたがトントン拍子に話は進んで5月には実際に飛行機作りをしているチームと出会えるチャンスが回ってきた。


この時は、あんなに変わったおっちゃん達と出会うとは思ってもみなかった。

 

鳥人間とおっちゃんブログ 第一話:出会いとはじまり 

Written by 津嶋 辰郎 on 2015-10-08

お話に登場する津嶋は、岡山の片田舎、自宅の周りの数軒は同じ津嶋姓という歴史ある?!地域の兼業農家で生まれた。何より”普通が一番”という極めてコンサバティブな両親の基で育てられたが、家族や地域からの深い愛情、そして田園風景に囲まれる環境。年齢によって上下関係が決まる田舎のパワーバランスの中で、同級生というより年上のお兄ちゃん達に食らいついていったということが、結果的に柔軟な社会性を身につけることにつながったんだと思う。
その後の小学校時代は、自宅から10km圏内の歴史ある剣道の道場にバスで通う毎日。ここでも指導者の愛と厳しさそして何より理不尽極まりない環境の中で揉まれ(この理不尽な稽古と武道の世界観としてのネタが一杯であるが、趣旨と外れるのでままたそれはサイドストーリーで)、最終的には岡山の片田舎から東京の日本武道館に上京。団体戦の大将として全国優勝まで達成したことは、自分の心と体の基礎、そして何より”やればできる”という自信を育んでくれたのは間違いない。
また学業や職業に対する過剰な期待やプレッシャーもなく、ギターに自転車、プログラミングなどお金の掛かる趣味であっても自分がやりたいと言ったことは、何でも好きなようにやらせてもらえたことが、自分にとっての創造性(妄想性?!)を解放することができたとも感じている。
ここからが本題であるが、津嶋は1970年代生まれのガンダム世代ど真ん中。スペースコロニーという未来の生活に夢を馳せ、得意教科は?と聞かれると五教科ではなく図工か技術家庭課というちょっと変なポジション。
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中学時代にはちょうど秋山豊寛さんがソ連のソユーズに日本人発の宇宙飛行士として搭乗することになり、日本人二人目の宇宙飛行士である毛利衛さんが岡山に講演に来たときは、友人と学校を休んで行ったりするほど宇宙開発は話題性のあるテーマだった。当時は1990年代に火星への有人探査も計画されており、まさに宇宙開発の未来の可能性にワクワクする高校時代を過ごしていた。
いわゆる、
大学にいって飛行機を飛ばすぞ!これからは宇宙開発じゃろ!
そんな夢を見ていたどこにでもいるオタク少年である。
どこの大学に行くではなく何を学ぶかにこだわる、そんなコンセプトを一人で決めて進めた大学受験。
そしてそのコンセプト通り?!航空宇宙工学科に合格・・・そんなこんなで、ある意味同世代の連中に比べると、それなりの思いと夢をもって大学生活をスタートしていたのかもしれない。
僕らの鳥人間へのチャレンジは、大阪の堺市にある大学の航空宇宙工学科20名の教室に居合わせたメンバーの中での雑談から始まった。誰が口火を切ったかはもう忘れてしまったが、
「鳥人間コンテスト出たいよなぁ・・・なんでうちの大学には航空部はあるんやけど、鳥コンチームはないんやろ??」
そんな話題で盛り上がったことが事の発端である。一人じゃ無理やけど、数名集まればできるかもしれない??そんな思いが自分の中でも芽生え初めていたときに、山村教授(仮名)の第一回目の講義でのネガティブな一撃が飛んできた。
山村教授:
「世の中には鳥人間コンテストという番組がありますね。あんなものには出るもんじゃありません。」

「学生であんなものに熱中すると必ず落第しますよ。昔からこの大会に出場しつづけて有名な日本大学の学生なんか落第ばかりしていると聞いてますよ。」

「しかも、我が校にはみなさんが所属している航空宇宙工学の学科があります。専門家がいると思われている大学の失態を全国ネットのテレビにさらすのは恥ずかしい限りじゃないありませんか。だからこういうのに出場するなんて考えないでくださいね」
あらら・・・いきなりですか??という大学に入学してまだ数日の純粋な?!若者達にとっては権威ある教授のこういう言葉は結構なインパクトのカウンターパンチであった(しかも、この発言は今後クラブ運営に物議を醸し出すことになる”留年したら退部”という会則にまで影響を及ぼすこととなる)。
やりたいと言っても知識も場所もお金も何にも無い・・・大学チームとして鳥人間コンテストに出場するといっても、そもそも何から手を着けてよいか見当もつかない状況。それに追い打ちを掛けての教授からの全否定のお先真っ暗の状況。
しかし、捨てる神あらば拾う神あり・・・その僅か2週間後、自分達がそういう話をしているという声を聞きつけた片倉助教授(仮名)から、大会出場に向けて準備を進めているという堺市のおっちゃん達がいるので興味があれば紹介するよというオファーがあった。
新しい事へのチャレンジは、言葉にして発信することから始まる
というの体験の第一弾がここにあった。

“思いを発信することで、初めて周りの人々が自分達の思いや考えを理解し、時に共感が生まれる。このサイクルが回りはじめると、事前には”決して”計画できない”出会い(いわゆる縁でありセレンディピティー)”を引き寄せていくことになる。この出会いがチャレンジを成功に導くキーになる様々なオプションを提供してくれるのである。この無限の可能性を知っているか?信じられるか?実はここが体験しないと理解できない、実践者とそうでない人との大きなちがいである。”
我々は今後この広がりの可能性を何度も繰り返し経験する。
そしてこれから鳥人間チャレンジにおける最大のセレンディぴてぴーであるおっちゃん達と出会うことになる。
この出会いは初回から自分にとってはインパクトあるものだった。
つづく・・・ 

"大学1年にチームを設立し鳥人間コンテストで2回の優勝を実現したリーダー・パイロットが語る" イノベーションに必要なことは鳥コンと中小企業のおっちゃんががすべて教えてくれた! ネタの連載始めます

Written by 津嶋 辰郎 on 2015-10-01
まずはちょっとこの連載企画を始めるにあたっての真面目なお話から。
社会人になってから鳥人間の話題を積極的に語ることを封印していた
それは自分にとってすでに過去の事であり、未来においてこれを越えるチャレンジがしたい今、敢えて振り返る必然性を感じることがなかったからである。

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しかし、その後のエンジニアとしての日々、半導体製造装置ベンチャースタートアップでの紆余曲折、そして研究開発部門向けのコンサルティングという経験を通して、自分にとっての当たり前が多くの人にとっての当たり前でないことに気づくことになる。
なぜ自分にはこれから起こる問題が既知感のように感じられるのに、

みんなには見えないのか??

どうもこの鳥人間での経験を通して自分は何かとても重要なことを学んでいたのかもしれない。その中には多くの人達に役に立つ教訓やメッセージが含まれているのかもしれない?そう思い始めたのがわずか5年ほど前の話である。
しかし当時の自分はまだその経験をうまく言葉にはできないでいた。言葉にしたいがまだまだ単なるエピソードの枠を越えられない。そうした中、INDEE Japanを立ち上げ、数多くの企業内新規事業立ち上げ、ベンチャースタートアップの支援をおこなってきた。そしてリーンスタートアップやファーストマイルという海外で体系化されつつあるノウハウに目を通して行くにつれて、自分の経験としての点が線になり、そして立体的になると同時に言葉に置き換えられるようになり、確信に変わってきた。
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そう自分が鳥人間コンテストへのチャレンジで中小企業のおっちゃん達にいろいろ突っ込まれながらやってきたことは、図らずともゼロからイチを創るプロセスにおける原理原則であり、成功への王道であった。

そして社会人になってから多くの人達と共感できない理由は、

この王道は多くの人が企業人として”正しい”と教え込まれることと

“真逆”だからである 

今は世界的に新しい事業の立ち上げが求められている。しかし、パターン化されたプロセスを効率良く実行することが王道と信じてきた人が、それとは真逆の行動をとりましょうと言われたとしても、それはリスク以外の何物にもみえない。
そしてこれは日々の行動の積み重ねの上に構築されたものであるため、一見些細な違いのように見えて実は想像以上に深い溝である。新しい事業立ち上げを成功させるためには、今日この瞬間から日常的な習慣に至るまで、やり方や考え方を変えていかなければならない。
 
自分自身もこの実体験を言葉にするためには20年の歳月が必要だった。旬な情報は新しさが重要であるが、普遍的な原理は話題の新しさは関係ない。20年前の経験であっても多くの現状に疑問を感じる人達の自信に、そしてチャレンジに一歩踏み出すきっかけになるんじゃないか、その確信をもって今回このネタを形にしてみることに決めた。 
そしてそれは、実は自分自身新しいチャレンジテーマへ一歩踏み出すための第一歩でもある。未来は今の延長線上にあると思い込むのではなく、自分で創ったほうがなんぼもおもしろい・・・まず初めてみることである。
チーム立ち上げから初優勝までの流れを中心に不定期に?!配信していきます。乞うご期待!
みさまからの感想、激励、つっこみ・・・をお待ちしております。

イノベーションのためのビジョン チームにビジョンが必要な本当の意味

Written by 津嶋 辰郎 on 2014-08-19

チームにはビジョンが必要だ!



この言葉は今や街を歩く大学生に聞いても変わらないぐらい浸透している。一方、このビジョンの本当の力を実感したことがある人がどれくらいいるだろうか?例えばビジョンを描いていたら数年後にそのとおりにいつの間にかなっていたとか、それがあったからこそ苦難を乗り越えられたなどの成功体験である。

私の経験としては、頭で理解している人の10人に1人ぐらいの割合しかいないにではないかと思っている。必要だと思っているため描いている・・・ないよりは良いと思うけど・・・という反応が殆ど。これは非常に残念な状況である。

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私自身は地方剣士の全国大会での優勝。鳥人間コンテストのチーム設立から優勝までのプロセス。そして社会人になって現在に至る15年の試行錯誤のプロセス。これらを通して何度もこのビジョンの効果と不十分ゆえの失敗を経験することができた。その経験からようやく少し言葉にできるようになってきた。このビジョンが真の力を発揮している状態を今現在の言葉に落としてみると以下のように表現する。

 ・当初不可能と思われるような新しい未来が現れる

 ・細かい指示なくしてチームメンバーが阿吽の呼吸で動き始める 



まず前者ができなければ後者は起こりえない。新しい未来とは、いろいろな形で現れる。例えば今まで縁のなかった人との”出会い”や自分を表現する”機会”、逆にそれに伴う”分かれ”や”撤退”もある。これらどれもがビジョン実現にとって必要な事象である。もしあなたがこの新しい未来の出現を感じた事がなかったとしたらそれは、自分自身が受け入れるために必要な解像度でビジョンが描けていないからである。

後者はさらに難しい。それは自分の頭の中の想像を全くの他人に伝えなければならないと考えると、ビジョンを言葉に落としただけでは全然不十分であることが分かっていただけるのではないだろうか。文字や言葉で伝えられることはたかが知れている。その文脈をも伝えきることができなければ十分とは言えないのである。

自分の中では最近、

 リーダーシップ ≒ ビジョンの”共有”

と言っても過言ではないと思っている。これさえできればチームは必ず動き始める。最強チームの要件を一言で言うとこれだけである。

なんていうと論理的ではないとか科学的でないという突っ込みが入ってきそうである。またはビジョンが共有できていなくても機能している組織が存在するという反論が出てくるはずである。それはその通りである。それはビジョンの効果を裏返してみるとはっきりする。

 ・当初不可能と思われるような新しい未来が現れる必要がないならばビジョンはいらない


 ・細かい指示なくしてチームメンバーが阿吽の呼吸で動き始める必要がないならばビジョンはいらない


つまり、論理的に計画可能でマイクロマネージメントを行う組織においては実はビジョンがなくても、人を動かし結果を出し続けることはできる。それに対して人がどう感じようとお構いなしであれば・・・という条件の上での話ではあるが。しかし、これこそが定量目標による効率化を追求する大量生産型組織の典型的なスタイルであり、このスタイルにあまり違和感を感じないのは、20世紀型の左脳系大量生産教育を受けてきた我々が求められる要件であるからである。

そう考えると”ビジョン”というコンセプトは、そもそも20世紀型企業組織にはあまりそぐわないものなのである。これが本当の意味でビジョンの効果を多くの人が実感できない理由ではないかと考えている。そのためビジョンの可能性を知っているのは、一部のトップアスリートや課外活動やベンチャー起業家や創業者など組織の論理の影響をあまり受けてこなかったという事実にも納得できるのではないだろうか。

イノベーティブな未来を創るにはビジョンが不可欠である

もし真のビジョンの力を借り、チームを動かしていくためにはどうすればいいか?もしあなたが20世紀型組織の枠にはまっているならば、普段当たり前と考えている日々の行動から少しずつでも変えていくしか方法はない。

自分自身のビジョンの解像度を上げていくための3つのポイントは、

 ・毎日想像(イメージ)する、問いかける(瞑想や散歩の意味もここにある)


 ・直観に従い日々行動する(人に会う・会わない、場所に行く・行かない)
 ・興味を感じ、心地よいと感じる情報は収集しつづける

チームメンバーとビジョンを共有するための3つのポイントは、

 ・できるだけ言葉にする、絵にする、動画(映像+音)にする
 ・日常の会話の中で話題に取り上げる
 ・できるだけ同じ時間を過ごす(近くにいる、公私関係なく時間を共有する)

いつからごちゃごちゃ言わずとりあえずやってみろ!という言葉が組織で通じなくなってしまったのか?先人には想像以上の智惠がある。新しい情報、論理的で科学的な情報こそが価値だと思い込み、人生において本当に大切なことを理解するには、一生を掛けても足らないぐらい時間が必要であることを誰も教えてくれなくなってしまった。

マスターやメンターの必要性が見直されているのはそういうところにあるが、本当にマスターやメンターとして他人を導ける人はそんなに多くはない。人がいないのならば古典に学ぶ。今ほど温故知新という言葉が必要とされている時代はないと確信している。