ソフトウェアはアナログな方がいい

Written by 津田 真吾 on 2021-09-02

ソフトウェアはデジタルなものだと思われがちですが、必ずしもそうとは限りません。

むしろ、ソフトウェア化することで、よりアナログで使いやすくなるケースは数多く存在します。3つの例を挙げてみたいと思います。

分け隔てのないNOTE

まず、NOTEです。
NOTEには“柔らかい”文章がたくさんありませんか?そして、まるで「プロ」のようなエッセイや小説が無料で読めます。もちろん、課金しないと読めない「プロ」が書いた作品もありますが、「アマチュア」が稼ぐことも可能だし、「プロ」が無料で作品を提供することもできるのがNOTEです。

例えばこんなエッセイにも出会えます。

今週末の日曜日、ユニクロで白T買って泣く|しまだあや(島田彩)|note

今週末の日曜日、私はユニクロで泣く。 いつも行く、イオンの4階に入っているユニクロで。きっと、震えながら白のエアリズムコットンオーバーサイズTシャツ(5分袖)を手に取って、泣く。 何の話か全くわからないと思うけど、今、たった今3時間前に起きたことを、心臓をばくばくさせながら、今日は書く。 …

以前は、アマチュアはアマチュア、プロはプロの場が用意されていました。NOTEは読者の心を捕まえることができれば稼げる仕組みがあるため、プロもアマチュアも利用しており、アマチュアの無料作品であっても先ほど挙げたような素晴らしい文章に出会うことも珍しくありません。稼ぐ仕組みだけではありません。記事を書く入力画面もシンプルで、コンピューターを扱いなれていなくても記事を書いて公開することができるのです。

NOTEはブログのようではありますが、記事を書いてデザインを整えるのはちょっと面倒かもしれません。課金となるとさらにハードルが上がります。

改めて考えてみると、執筆者はインターネットによって多くの読者に作品を届けやすくなったものの、(プログラミングよりははるかに易しいけれど)コンピューターに向かって指示をするという感触は拭えていなかったのかもしれません。NOTE登場前の多くの執筆ツールはHTMLやMarkupなど、人工言語を書く延長線に自然言語を書くUIができていた気がします。それに対し、NOTEはコンピューターに向かってではなく、読者に直接向かうことができる、趣味の物書きとプロの物書きを分け隔てしないプラットフォームだと思うのです。

AI受診相談ユビーは「医療」と「それ以外」を分けない

日本には国民皆保険制度があり、私たちの医療費の7割は健康保険でカバーされます。しかし、どこからが「医療行為」なのかは明確に線引きがされていて、ままずは医師という専門家の「診断」を受けることで医療がスタートします。診断の結果、病名が決まり、治療が始まります。

実は「診断」を受ける際にも苦しみがあります。病院に行って診察をしてもらうのに、移動時間や交通費に加え初診料が必要です。しかも移動中や病院で新型コロナやインフルエンザなどの感染症にかかるリスクも気になります。子供にはもっと感染力の高い病気が多く、子供を持つ親なら子供を連れて病院に行くべきかどうか悩んだことはあるのではないでしょうか。医師の診断を受けにいくかどうかという健康上の判断を、医師ではない私たちが決めないことには始まらないのです。ググれば良いと思っているかもしれませんが、インターネット上の情報には怪しいものや、誤った情報も見受けられたり、正確だが難解な情報も混在していて、躊躇します。

こうして考えると、普通の生活を過ごしている状態と「医療」は連続しているのにもかかわらず、「受診したかどうか」で区別される大きな隔たりがあります。

AI受診相談ユビーは、その隔たりを取り除き、信頼できる医学情報から自分や子供の症状と病気の関連を調べてくれます。なんとなく感じる不調が、シリアスな病気と関連しているか、受診するならどの診療科なのか、というファジーな状態が、デジタルに「医療」か「それ以外」に分断されてきた世界を優しくしていると感じます。

MENOUは忠実に学ぶ

ものづくりの現場で、製品出荷前に行われている検査が未だに人海戦術に頼っていることをご存じでしょうか。しかもそれぞれの製品を構成する何点もの部品も、部品メーカーにとっては「製品」ということになり、同じように外観検査が行われています。最終検査だけでなく工程中にも品質管理のための検査が何重にも行われていて、多くが目視によって行われているのです。

これらの膨大な検査を少しでも省力化するために、コンピューティングが用いられてきました。コンピューターに置き換えることで作業員の疲れを気にせず24時間正確な検査を続けることができるようになりましたが、検査項目を「輝度」や「コントラスト」などといったデジタル値に翻訳してあげる必要があります。さらに、外観検査員とプログラマーとの間でも翻訳作業が必要です。外観検査員、プログラマ、コンピューターという二重の翻訳ロスが発生するのが問題でした。この翻訳作業が必要なため、「なんとなく汚れている」とか「全体的にいびつ」といった現場感覚による検査を自動化するのは至難の業で、不可能だと諦める企業も多数です。なんとか諦めずに多くの試行錯誤の末、満足のいく検査ができたとしても、そのころには製品のモデルチェンジなどで不要となってしまいます。

ディープラーニング技術の登場で「輝度」「コントラスト」などのデジタル値への変換は不要になりましたが、製造現場をあまり知らないAIベンダーとの翻訳作業は本当に大変です。ましてやAIを売りたいベンダーです。甘い言葉と甘い見立てを信じて購入した数千万の画像検査装置が使い物にならないといった惨状を幾度となく見聞きしました。

MENOUが開発したMENOU-TEは、もちろんディープラーニング技術を用いていますが、現場の検査員から直接その検査方法や検査基準を学び取れるという特徴を持ちます。新人の検査員を指導するときのように、「この辺を詳しく見て」「こういう欠陥を探して」「欠陥がこのくらい大きかったらNG」といった思考回路のままにAIモデルを組み立てることができます。喩えて言うと、OK品とNG品の画像を大量に渡して「NG品を検出してね」と乱暴に学習させていたのが従来のディープラーニングであったのに対し、少し丁寧なアプローチです。MENOU-TEを用いることでベンダーに頼ることなく現場の検査技術を反映したAIを作り、少ない画像で学習ができるようになります。

マジックアワー

白か黒か、あえてデジタルに白黒をつけて処理することでシステムの効率化を図ることは多くの場合有効です。ですが、過去に導入されたシステムには当時の状況や技術的な制約から白と黒が分かれています。だからといって、そのままである必要はないと思うのです。白黒の境目をそのままに新しい技術を導入することは、まるで白黒写真を再現するためにフルカラーの信号を1ビットに減らしたり、DXと称して紙の帳票をITツールに置き換えたりするようなものです。今の技術レベルやジョブに合わせて問題解決の解像度も高めたいものです。

このように、白とも黒とも言えない色をなるべく実態のままとらえるサービスは人に優しいのではないかと思います。ソフトウェアは機械を動かすための道具ですが、私たち人間にとって意味のあるものであり続けるには、なるべくアナログな方が良い。デジタルの対義語はアナログではないのです。

余談ですが、このブログのタイトルと「マジックアワー」としたのは昼と夜の間のグラデーションに存在する、彩りある未来をつくっていきたい。そんな夢を表しています。

奇跡の花畑、町のシンボルを生んだ農家の決断

Written by 山田 竜也 on 2021-08-16

夏の北海道、富良野、と言えば、ラベンダー!
すっかり夏の北海道のイメージとして定着した感のあるラベンダーですが、
町のシンボルが生まれるまでにはドラマがありました。
 
富良野と言えば、ラベンダーよりも「北の国から(脚本:倉本聰、1981年10月9日から放送)」が浮かぶ人も多いと思います。私も、まさに、「北の国から」世代です。
 
古き良き80年代の人間ドラマに胸を打たれますが、
倉本聰氏が制作に至る背景には、
この土地に住む人達への、農家への強い尊敬の念があったようです。
 
企画書の中にはこんな言葉があります。
「僕らは東京(都会)の暮らしの中で
 不便さを金で解消しようとする。何か
 困ったことが起きた時、それを、誰か
 に、金を払って解決してもらう、そう
 いう生活に馴らされてしまっている。
 ・・・
 此処の人たちは自然の脅威を知って
 いる。人間が自然の小さな一部にすぎ
 ないことを明らかに肌で知っている。
 だから物事に謙虚である。都会に
 住むものの傲慢さを持たない。」
 
ドラマの名シーンを彩るラベンダー、町のシンボルとなったラベンダーですが、
ドラマの始まる6年前に存続の危機があったそうです。
そして、その危機を乗り越えるきっかけを作ったのは、自然の脅威とは異なる、世の中の変化の脅威に、信念を持って謙虚に、粘り強く耐え続けた農家の決断がありました。
 

 
元々、富良野のラベンダーは1937年(昭和12年に、香料会社がフランスからラベンダーの種子を入手し、千葉・岡山・北海道で試験栽培を行い北海道が生育の適地と分かった事から始まりました。最盛期には、上富良野町で85ha、全道では235haにもなったそうです。
戦後、天然香料の輸入再開や化学技術の発展により合成香料が安く手に入るようになり、価格競争に勝てず、ラベンダー栽培面積は減少の一途をたどりました。上富良野町では最後まで香料会社との契約栽培が続きましたが、1977年(昭和52年)に香料会社のラベンダー油の買取が打ち切られ、ラベンダーの農業作物としての生産は終わりとなったのです。
 
多くのものが天然素材から化学合成へと置き換わっていきます。機能的な面だけを考えるとこの流れは変えられません。もちろん化学合成品が天然素材の完全な上位互換という訳ではありませんが、多くの人が消化出来る(理解できる)性能差のレベルでは、より手軽で安価な方への流れを止めるのは難しいでしょう。
 
しかし、こうした苦境の中、畑を守る決断をしたのが、ファーム富田のトラディショナルラベンダー畑です。
 
 
この決断の翌年、1976年(昭和51年)国鉄のカレンダーで中富良野町北星のラベンダー畑が全国に紹介、1977年(昭和52年)には上富良野町東中のラベンダー畑が北海道新聞に掲載され、それ以来観光客が訪れるようになりました。
 
元々は香料の原料として栽培されていたラベンダー、合成香料の発明により、機能的なジョブの解決としては役目を終えました。
しかし、”機能的ではない農作物の価値”として、「夏の風物詩を味わいたい」「商品の背景にあるストーリーを楽しみたい」というジョブや「有名な観光地は押さえておきたい」という社会的なジョブをも解決し、観光農業として新たな発展を遂げました。
 

 
機能的なジョブの解決策として、育てていても、作り手には商品に対する感情的な思いが生まれます。この思いに固執し過ぎて、新たな価値を発見できないと、イノベーションのジレンマに嵌ってしまいますが、顧客のジョブの変化を捉え、新たなジョブに新たな価値提案で解決策を描ければ、愛する商品を守りつつ、より多くの人に、より商品に根ざした価値を届ける事が出来るかもしれません。
 
多くの場合、ジョブは機能的な問題解決から始まり、より感情的、社会的なものへと変化していきます。以下は働く環境におけるジョブですが、このコロナ禍で、多くの方が実感したのではないでしょうか。
 
 
冒頭の写真の美しい畑もいちどはトラクターで地面に鋤きこまれてしまう運命にありました。そんな中、粘り強く耐え、新たなジョブと出会えた事により、今は、それまでとは全く違った形でより大きな価値を見出しています。
 
もし、既存のジョブの解決での事業の成長に限界を感じているなら、視野を広げて見てはいかがでしょうか。
物質的な豊かさをある程度享受出来た世界では、機能的なジョブだけではなく、より感情的、社会的なジョブにこそ可能性があります。
そして、愛する商品や技術を救い、新たな価値を生み出す可能性が見つかるかもしれません。

ペイシェントジャーニーという必要悪

Written by 津田 真吾 on 2021-08-10

ペイシェントジャーニーという言葉があります。

ペイシェントジャーニーとは、医療系サービスを受ける人が医療サービスに辿り着き、医療サービスを受け、症状や生活の質が変化するまでの行動や感情の過程を表す言葉です。似た言葉でカスタマージャーニーという言葉がありますが、ペイシェントジャーニーは医療もビジネスだと認識してカスタマージャーニーから借りてきた概念です。

アメリカを筆頭に医療がビジネス化しています。つまり医療は国民が受ける平等な社会インフラから一歩抜け出し、医療は消費者が選ぶ「サービス」として見なされるようになっていることです。医療が「サービス」ということはどういうことかいうと、病気になったり体調が悪い消費者が、治療を受ける病院を選んだり、そもそも自主的な療養などで問題解決するかを決めるということです。

例えば、私は不調を感じると、その症状をGoogleで検索し、よくある病名であれば寝て治します。それで不安が残るようなら近くの病院をさらに検索し、受診し医師の診断を受け、治療方針を相談するといった行動をとります。最近は自分自身が病院に行くような状態になったことは一切ありませんが、家族の不調であっても同じ流れです。診察の結果、薬を処方されれば、薬局に行き、薬を購入し服薬することになります。

カスタマージャーニーを描くうえで見落としがちなのは

  1.  病院にかかってからが医療システムの入口なので、病院に行くまでの医療の「無消費」がある
  2.  病気という症状の前に不安という心理的なQOLの低下がある
  3.  ジャーニーの冒頭に、Google検索や知人の意見といった重要なプロセスがあり、医学的なエビデンスを扱うには適していない情報に患者は将来を委ねている

という3つの点です。

なので、医療系ビジネスの成功のためだけでなく、私たち自身のQOL向上のためにはペイシェントジャーニー全体を考えて向上させていかなければなりません。

しかし、しかしです。

ペイシェントジャーニーという言葉の響きはどうしても好きになれません。

なぜなら、ペイシェント(患者)という、命の危険もあり得る困った状態にいる私たちがジャーニー(長い旅路)を辿ることを前提としているからです。先ほどの例を見ても、非常に長いです。まずはちょっと心配になって、ググって、受診して、診断結果を聞いて、治療方針に合意して、処方箋を薬局に持っていき、自ら服薬します。服薬後、もう一度通院することもあれば、そのままのこともありますね。とにかく、長い!これが希少疾患だったりしたら、たらい回しの連続となり、病名を知るだけでも長いジャーニーとなってしまいます。

ペイジェントジャーニーの問題

ペイシェントジャーニーを洗い出すことから医療系の新規事業を考えている企業は少なくありません。カスタマージャーニーのようにペイシェントジャーニー全体を見渡すことはとても大切なことです。しかし、ペイシェントがジャーニーをすることを当たり前だと思ってしまうという弊害もあります。このような前提でサービスを検討しているチームには、私は「無駄な旅を患者にさせない」ように注意喚起しています。しかしながら、注意をしても患者がジャーニーをすることが当たり前すぎて、各ステップの中での小さな課題ばかりを見てしまう企業も少なくありません。さらに、患者側から自社が提供する治療サービスや医薬品、医療機器を患者が受けに「来てくれる」という前提もおかしいです。患者は「お客様」という側面を持っているサービスの受け手である以前に、体調が悪いのです!

医療が行きわたる前にはペイシェントがジャーニーすることには合理性がありました。なぜなら、医療が国民全員に行きわたる以前の時代、医師や病院は本当に不足しており、多くのステップを余儀なくされていたからです。そういう時代においては、患者ではなく貴重な医療リソースをなるべく効率的に活用する合理性はあります。しかし、医療も高度化し、一人一人の生活や人生観に即したQOLを目指す今の時代には考え方とは合わなくなっていると感じます。

テクノロジーは障害を取り除き、無消費をなくす

最近では私は明らかに異なるジャーニーをすることにしています。まず、不調を感じるとGoogleではなくAI受診相談Ubieを利用します。Ubieのデータベースは、万能型の検索エンジンであるGoogleではなく、医学情報だけをもとに作られています。また、人気のあるウェブサイトという検索結果ではなく、医師の思考回路のようなAIを搭載し、関連する病名を絞り込ります。なので、ジャーニーの一歩目の信頼感が全く違います。深刻な病気に関係しそうであればアラートしてくれるので、不安への対処もしてくれます。

例えば、「めまい」を感じたときに考えられる病気はこのように表示されます。

AI受診相談Ubieの画面

私が数年前から発症した花粉症の症状を入力すると、以下のような画面になります。

症状に関連しそうな病気が表示されると、近くの病院もリストアップされたりして、受診する際にも便利なのです。

全体のジャーニーが1つアプリで完結するのは嬉しいです。でも、Ubieが本当にすごいのは今まで「無消費」だった「そもそも受診するかどうか決めたい」というジョブを解決している点です。今から思い返せば、AI受診相談Ubieを使う前は、分かりやすいサイトにめぐり合うまで何度もGoogle検索をしていた気がします。

ペイジェントジャーニーであろうと、カスタマージャーニーであろうと、無消費を見つけることはとても大事です。しかし「無消費」は、消費が行われていないため従来のマーケティング手法では見逃されてしまいます。行動観察やインタビューを行って顧客の「ジョブ」を把握することが本当に大事になります。

クリステンセンは著書『イノベーションのジレンマ』に「小さすぎる市場は分析できない」ため、既存事業者は無視したり軽視してしまうと記しました。でも、「無消費」は存在していますし、適切なサービスを提供することができればサービスの消費者と変わることをUbieが証明しています。2021年6月に月間利用者数が100万人を超えたことを発表しました

―最後に―

医療システムは現在、非常に複雑な構造になっています。私たち一人一人が異なる体質を持ち、異なる生活を送っている上、病気も非常に多く存在しているからです(Ubieには執筆時点で962もの病気が登録されています)。実際、私たちがCOVIDに直面しているように新しい病気も生まれ続けています。防げる病気を予防し、治療法を開発する研究者や企業、病院や医師の努力によって寿命は延びますし、寿命が延びることによって別の病気も生じています。

なのでもし、自分や家族に何かの症状があったり、体調の悪さを感じたらスマホからAI受診相談Ubieでチェックしてみてください。その複雑さが少しシンプルになり、ジャーニーは短くなるはずです。

そしてもし、人の健康に携わるような事業をする意志があるようでしたらペイシェントはジャーニーなどしたくないんだという前提を持ってほしいなと思います。そして、もちろん、そのような思いを持っていらっしゃる方には、INDEE Japanにお声がけ頂き、共に事業を創りたいと思います。

スタートアップにとっての経路依存性とは?

Written by 津田 真吾 on 2021-06-28

どうやったら会社を成長させることができるのか?

今では本やネットの記事にあらゆる情報があふれていて、さまざまな戦略フレームワークやテクニックや事例が簡単に入手できますよね。実際、このブログにはジョブ理論ピッチのテクニック、成長戦略の描き方や事業開発のコツも紹介してきました。この手の知識はあればあるほど成功には近づきますが、知識ではカバーできないことの一つに「経路依存性」というものがあります。

経路依存性とは、簡単に言うと「物事を為す順序」ということになります。

人を増やしてから、開発をするのか?
開発を進めてから人を増やすのか?

ピッチコンテストに出てから、プロダクトをローンチするのか?
ローンチしてからピッチコンテストに出るのか?

資金調達を先に行ってから海外展開するのか?
海外展開で資金調達をするのか?

近い言葉に「優先順位」というものがありますが、ちょっと意味が違います。例えば、「マーケティングと開発の優先順位をつける」というのは、どっちも大事で、どちらにより時間とお金をかけるのか?という問題ですが、「経路依存」というのは、ある一方向に進んでしまうと戻れず、「違う景色」の中で次の意思決定をしないといけないことを指します。いわゆる「タラレバ」です。

さっきの例でいえば、開発を先に進めるとバグも埋め込まれてバグフィックスに向いた人を雇いたくなってしまいます。逆に、人を先に増やす決断をすれば、開発メンバーが豊富になりますが、分業されたアーキテクチャになります。順序が違うと、人数やプロダクトが同じように見えても、その中身は結構違うものになってくるのです。

スタートアップの経営者(社内スタートアップのリーダ含む)は、次の一手として何をするべきか悩んでいます。自覚しているかどうかは人によるけれど、今何をするべきか悩んでいたり、次の一手を最適化したい、成果を最大化したいと願っています。

「経路依存性」という言葉を知らなくても、次の一手に苦労し、色々な人に相談する人がいます。色々な人の話を聞くのは一見悪くない判断のような気がしますが、スタートアップの早期であれば早期であるほど、これはマズい結果となる可能性があるんです。早いステージのスタートアップは、プロダクトが存在していても完成度は低く、顧客もユーザーも多くいません。リソースも少なく、知名度も皆無です。そういう時期に得られるアドバイスは、間違っていません。「開発を進めた方が良い」「メンバーを増やそう」「資金調達を教えよう」「顧客を紹介しよう」など、ないないずくめのスタートアップにとって、指摘されることはは当たっています。話にウソがないだけに、アドバイスを聞いている起業家は納得してしまいます。親切な助言者が多くなると、いわゆる「アドバイスのフォアグラ状態」に陥ってしまいます。

「アドバイスのフォアグラ状態」にあるリーダーは、山積みになった重要課題に直面し、何から手を付けてよいのか硬直してしまいます。概してスタートアップを始めるような人は行動力が高いのですが、重要な課題をたくさん目の前に置かれるとさすがに体が止まってしまうようです。

「今、何をするべきか?」という問いは将棋に喩えると、「次の一手」ということです。一手一手ごとに盤面は変わり、その順序の大切さを忘れてはいけません。特に、大切なのはMVPをいつローンチするのか?そのフィードバックを得てプロダクトに改善を重ねるのと、資金調達や開発チームの増強はどういう順序で行うのか?といった意思決定です。さらには、社員第一号はビジネスサイドなのか技術サイドなのか?といった意思決定も、未来の経路を決定づけているので注意が必要ですね。

この先はポジショントークも含まれていますが、やっぱりコミットしていない人からのアドバイスはある程度割り引いた方が良いと思います。そして「専門家」も、その専門性に偏った助言をする傾向にあるので、そういうバイアスに気を付けた方がよいです。税理士の意見を聞いたがために、スタートアップに時期尚早な会計システムを導入してしまい、売り上げもほとんどないのにもかかわらず、細かな原価計算の集計作業に疲弊してしまった悲劇なども見てしまいました。こういう経路依存性をもたらす意思決定をするときに信頼する相手が“Skin in the Game”=リスクを背負っているかどうか、は非常に大事なファクターになるのではないかと思うんです。アドバイスによる中長期的な影響を共有できるのか、ということです。

さらにポジショントークを超えて暑苦しいかもしれませんが、こうした思いが私たちが立ち上げたシードアクセラレーター(ZENTECH DOJOX-DOJO)に込められています。起業家と一緒にリスクを取り、「アドバイスのフォアグラ状態」を避けることで未来への経路を高めていきたいと思います。

コロナで見つけた世界遺産。

Written by 津田 真吾 on 2021-06-21

新型コロナによるステイホーム生活を少しでも楽しむため、私のエンタメ習慣は大きく変わりました。どう変わったかというと、大きく2つあります。

一つは、NETFLIXとAmazon Primeなどのストリーミングサービスによって、映画や連続ドラマの消費が増えたことです。圧倒的に、増えました。減った通勤やその他の移動時間は「SUITS」や「愛の不時着」「クイーンズ・ギャンビット」が埋めた計算になります。ですが、ドラマの本数と時間を合計すると、かなり睡眠も削ってしまってる気がします……。映画も結構見ましたので、色々紹介したいのですが、また別の機会にさせてください。

もう一つは、ゲームです。ゲームと言っても、アナログなボードゲームです。このボードゲーム、通はボドゲと呼ぶそうですが、ボードがなく、カードだけとか、サイコロとカードといった組み合わせも、ボドゲです。

普段私はAI化とかDXとか言ってますがエンタメという「楽しみ」や「味わい」というジョブに関してはアナログは最高です。楽しみは非効率な方が良いんです。(感情的ジョブを効率的にという事業アイデアの相談を受けますが、この辺は別の機会に述べたいと思います。)そういう意味で、世界がどんどんデジタルになったとしても、遺産のようにボードゲームは残るのではないでしょうか?それはまるで、オンライン化が進んだ現代において世界の旅行市場が成長し続けているのと同じかもしれません。チェスもボードゲームの一種ですが、AIに人間がかなわなくなったとしても、根強いファンはいます。むしろ「クイーンズ・ギャンビット」によって世界的なチェスブームが再来したくらいです。

我が家でも新型コロナの流行とともに、家族全員が家にいる時間が増えました。うちは5人家族なのですが、週末も出かけなくなり、夫婦に加え、中学生と高校生と大学生の5人が一緒に楽しめるものを、ということでボドゲ、しかも世界的に人気の高い世界遺産級のものに手を出しました。いくつか紹介したいと思います。

モノポリー Monopoly

最初は元々家に会ったモノポリーから始めました。これは言わずと知れた不動産売買ゲームです。運の要素もありますが、有利な交渉をタイミングよく仕掛けることで不動産を独占し、多くの富を手に入れることがゴールです。中学生も十分に楽しめました。たぶん、小学校高学年から普通に遊べるのではないでしょうか。欠点としてはとてもゲーム時間が長くなることがあるのと、最後の最後はサイコロの目で大きく勝敗が決まる運ゲー感が残ることです。しかしボードゲーム界の殿堂入りをしているとも言えるモノポリーは何回やっても飽きることなく楽しめます。最初はルールを知らなかった子供たちも、ゲームの盤面に書かれている価格ではなく、自分にとっての価値を感じながら交渉をするほどゲームに熟達することができました。

カタン Catan

モノポリーが盛り上がったので、これもボードゲーム界の代表と言えるカタンもやってみることにしました。通常のカタンは最大4人までしかプレーできないので、最大6人まで同時に遊べるようになる拡張版という追加キットも入手。多くのボードゲームの定員は4人となっているため、こうした拡張キットは嬉しいですね。ゲームバランスが多少変わりますが、違いを味わうという楽しみ方もあるかもしれません。

さて、このカタンというゲームは、島の開拓者となってプレイヤーが資源を獲得しながら道や町をつくっていくゲームです。サイコロの目によって獲得する資源が決まります。なので「確率」についても一定の理解がないと勝てません。さらに獲得した資源の使い道には戦略性が求められます。家族5人でやると、この戦略性に面白いほど差が表れました。モノポリーでは、交渉の巧拙というのが勝敗を分けますが、カタンでは状況に応じた戦略を選択できるかどうかがカギになります。プレイヤーによっては、戦略の好き嫌いがあったり、盤面に応じた変化が取れなかったりします。私自身、このことに気づくのが遅く、ずいぶん子供たちに悔しい思いをさせられました。プレイスタイルも色々なパターンがあるので、子供たちの色んな頭の使い方に感心するという、子供の成長も楽しめる味わい深いゲームです。

カルカソンヌ Carcassonne

カタンを相当やり尽くすと、ちょっと毛色の違うゲームを探すことにしました。特に、カタンもモノポリーも最後までやると1時間を軽く超えてしまうので、ゲーム時間の短めのものを探し、約45分というカルカソンヌというゲームを買いました。これは、道や城や広場などが描かれたカードを繰り出しながら盤面を拡大していく「陣地拡大ゲーム」です。広い陣地を一気に囲うことで、大量得点を狙ったり、小さく堅実に得点を重ねたり、より細かい戦術が大事なゲームです。細かい戦術に加え戦略的に他のプレイヤーより多くの得点を獲得することで勝利できます。このゲームはやってみると、麻雀に似た感覚で、運よりも他者との駆け引きやリスクの取り方が大事な要因となっているようです。そのため、家族のなかではボロ勝ちしてしまい、評判悪かったです。ルールは簡単ではありますが、戦術と戦略がないと、上級者にはまったく歯が立たないため、相手を選ぶゲームと言えるかもしれません。

ワイナリーの四季 Viticulture

これまでの3つのゲームは、プレイヤー同士の戦いという側面が強く、場合によってはバチバチと喧嘩にも発展しかねません。子供によっては負けたことなどを根に持ち、相手が4人いるにも関わらず特定の相手に厳しく交渉したり、邪魔をしたりと個人攻撃的な行動を取ります。そうなると「仲良くみんなで楽しみたい」というジョブの不満点となり、せっかくのゲームが台無しになり得ます。そこで見つけたのがこの「ワイナリーの四季」というゲーム。このゲームは相手とは確かに競うのですが、それぞれのプレイヤーが、自分のワイナリーを開発し、価値の高いワインをつくっていくゲームで、相手の邪魔はほとんどできません。着々と、粛々と自分のワイナリーを経営するので、ゲームと言っても競うというより自分の趣味に打ち込めるような楽しみですね。有名なボードゲームではないですが、結構好きです。ワイン好きなら好きなワインをつくる感覚も得られてもっと楽しめるかもしれません。

おススメは?

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