新規事業開発部」「イノベーションセンター」「事業共創室」「◯◯イノベーション室」 ・・・このような名前の部署が最近増えています。

そして、そのような部署から相談が増えています。

よくある相談内容は、このようなもの:"肝入りで部署ができて1年経ったのですが、成果があがっておらず、焦っています。この先どうしたらいいか、相談に乗って欲しい・・・" 

話を聞いてみると

  • 新規事業の組織をつくった
  • 新しいプロセスを定義した
  • 定期的なレビューがあり、報告する内容がなくなった

といったところ。

仏作って魂入れず

担当者にしてみれば、かなり切実な問題です。 なにせ新しい組織の責任者に就任したばかりで、初めてのことを任され、結果を期待されている訳ですから。 しかも、最初のプロセス設計に予算の大半を費やしていて、予算もほとんど残っていないという事態です。 なので、相談者もかなりバツが悪そうになんとかしてくれないか、という相談の仕方なのでこちらも放っておけません。

出来上がったプロセス、つまり仕組みが機能していることを証明するため、何か実プロジェクトで成果を出すことが求められます。一言で言うと、プロジェクトの「火消し」です。正確に言うと、トラブルが増えて炎上しているわけではなく、むしろトラブルすら生じていない仮死状態からの「蘇生」と言った方が正しいかもしれません。 私たちはメンバーと一緒に、新規事業プロジェクトの立案時に想定したことを聞き出し、重要かつ実現性の難しいものを問い直すことから始めます。

数回の打ち合わせである程度はブラッシュアップできたとしても、市場での検証にはかないません。仮説をベースに、市場検証を通じてビジネスプランの確度を高めるのです。この進め方については「リーンスタートアップ」や「ザ・ファーストマイル」にも書かれていますので、これ以上はここでは割愛します。

今回は、「なぜこうなったのか?」について考えてみたいと思います。

もちろん、その問題の原因は、時間とお金をつぎ込んでつくったプロセスにあります。

ですが、間違ったプロセスを設計してしまったわけではありません。理論的に間違っていない教科書からコピーされているので、プロセスは間違いようがありません。


プロセスの中身ではなく、意味


書かれたそのプロセスを読んだだけでは、その通りに「人はできない」ということなのです。人はそのプロセスの意味を、長年染み付いた従来の「仕事のやり方」に照らし合わせて理解してしまいます。書いてあることはイノベーティブでも、やっていることは昔のまま、といった感じでしょうか。とにかく、「惜しい・・・」のです。キモの部分がもやもやっとしていて、具体性が欠けていたり、誤魔化せるようになっていたりします。

例えば、「アイデア審査」というレビュー会がプロセス上規定されているとしましょう。 すると、レビューワーは「アイデア」として審査しないといけませんが、姿も形もないアイデアを評価したことなどある人は一般にいないので、混乱が起きます。その結果、既存事業のステージゲートで審査していたのと同じような観点で、同じような基準で、「切って」いくことになります。モノの生産であれば、歩留まりが悪くなったとしても品質が上がるのですが、アイデアの場合はかえって悪くなります。なぜなら、切られるのは人であり、モチベーションであり、アイデアだからです。

レビューワだけではありません。例えば、「顧客インタビュー」をして「インサイトを得る」とプロセスに定義されていても

  • 売る前から顧客を定めることができない
  • 顧客を定めても会いに行けない
  • インタビューをしたことがない
  • 聞いた言葉がインサイトにつながらない
  • 何をもってインサイトと呼ぶかわからない 
と、プロセスを初めて見た人にはその通りにはできません。

「プロセス」はしばしば「仕組み」という言い方をされるように、無機質で機械的なものだと認識されてしまう傾向にありますが、人が生かしてこそのプロセスです。あとから「蘇生」させるよりは「生きた状態」でつくりたいものです。

4コママンガは勢川びき(瀬川秀樹)さん作
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ここ数年、イノベーション人材育成の活動が増えてきています。上の図はイノベーターDNA診断の結果ですが、おかげさまでこうした人材に関する面での当社への問い合わせも増えています。

どの企業も10−15年後に今の製品・サービスで稼ぎ続けられるとは思っていないでしょう。既存事業を上手く回す人材だけでなく、新規事業を作れる人材、それもイノベーティブな新規事業を生み出して将来の自社の基盤を作れる人材が必要だと考え、イノベーション人材を作ろう!イノベーションを起こす力を身につけるトレーニングを導入しようとなっています。
イノベーションというテーマへの取り組みが、R&Dや経営戦略から人材育成の観点まで活動が広がっているのは嬉しい事なのですが、育成プログラムを企画する段階で、工夫すべきと感じることがあります。それは、選抜とスキルのとらえ方です。

選抜

将来を担う人だからということで、経営幹部候補いわゆる既存ビジネスのエースが集められることが多いのですが、ここで押さえておかなければならないのが、本当に新規事業の立ち上げを任せられるかです。

エースなので当然彼ら彼女らには背負うべき事業や部署があるでしょう。既存ビジネスを守るだけでも大変なのに、将来のビジネスを考えろと言われても困るというのが参加者の本音かもしれません。そんな中で新規事業を立ち上げるための一連の知識やスキルを身につけ、日々の業務をこなしながら、新規事業の企画書を作り上げるのはけっこう辛いことです。気合を入れて最終プレゼンに臨み、パフォーマンスを発揮し、これは事業化を進めよう!という評価を得ても、「既存事業もしっかり進めてくれ!」という一言がつくと、所詮は研修かと一気に気持ちが冷めてしまいます。

新規事業を生み出す考え方を将来の経営幹部にも学ばせるという目的であれば研修として割り切るだけですが、もし、より新規事業のアイデアそのものにフォーカスするのならば、既存ビジネスのエースばかりではなく、選抜よりも自主的な手挙げでの参加を重視して参加者を募ることをオススメします。
むしろ既存ビジネスでは上手く動けていない人材にこそ任せるべきかもしれません。既存ビジネスと新規事業開発に求められるスキルセットは違うし、今失うものが無い人の方が思い切って新しいことに飛び込めます。

スキルのとらえ方

既存ビジネスを上手く行うためには理解して身につけるべき知識やスキルが沢山あります。成熟したビジネスであるほど、その量は増えていきます。一方で新規事業の立ち上げにおいて大事なスキルは行動して学習することにあります。身につけるべき知識や考え方もシンプルな原理原則が多いので机上で知識を詰め込むというより原理原則を理解して実践しながら学習するのが効果的です。

イノベーター(新規事業に飛び込める人)とそうでない人を分けるのは、知識や考え方よりも行動特性にあります。知識が足りないのではなく、分かっていても出来ない/やらないということがほとんどです。

ちなみに行動特性とは以下のようなものです。
・その場を凍りつかせるような本質的な質問を呼吸をするように自然に問い続けられるか?
 (例えば、熱っぽく技術の凄さを語っているエンジニアに、「それは誰にとって価値があるの?」と聞く)
・普段の業務と直接関わらない多様な人たちとのネットワーキングを行っているか?
 (単なる飲み会ではなく、事業機会の発見等の明確な目的をもって行っているか?)
・思いついたアイデアを既存ビジネスのしがらみをおそれずに気軽に実践できるか?
 (手間と時間のかかる承認プロセスを無視して、直感とスピード感で振る舞えるか?)
既存ビジネスの円滑なマネジメントとは反するような行動も必要になってきます。

既存ビジネスのエースにイノベーション研修を!?

「考え方を学んで欲しいのか?新規事業のアイデアが欲しいのか?」
白黒つかない、グレイな問題ですが、指針がないと中途半端な結果に終わってしまいます。

「既存ビジネスのエース、経営幹部候補が、
  イノベーターを活用するための考え方を学ぶ 」

「新規ビジネスに挑戦したい人材が、
  イノベーションを起こすための考え方と行動の機会を得る 」

プログラムのコンセプトを明確にするのが、人材育成の適切な企画づくりの第一歩です。 
コミュニティサイクル幅9.png

 こちらの赤い自転車をご存知でしょうか?
 中央、港、千代田、江東の4区で広域実験中のコミュニティサイクルのサービスです。
 広域かつ乗捨て可能なので私もよく利用しています。今月から月会員になりました。

 今まではレンタル自転車というと、観光地などで1日貸しというイメージが強かったのですが、日々の生活や通勤に利用できるサービスとして浸透してきました。既に海外の大都市では、パリのヴェリブ (Vélib')は2万台、台北のYouBikeは1万台と普及していますが、日本ではまだまだこれからですね。

 このコミュニティサイクルをIoTの成功事例として考えてみましょう。
 「IoTはどんなジョブを解決しているでしょうか?」

 もし、IoT無しで運営しようとすると、以下の課題を解決しなければなりません。

  • 番人が必要
  • 同じ場所に返却(or複数の番人+照会)
  • 稼働率が不明、メンテ時期不明
  • 空気圧不明、バッテリー残量不明
  • 貸し出し用鍵の管理が必要、スペアキーが必要
  • 鍵をなくすリスクあり
  • 貸し出しの際のID確認が必要
  • 貸し出しの際のデポジットが必要
  • 貸し出し時間の管理が必要
  • 代金を徴収し忘れるリスクあり
  • 番人が着服するリスクあり
  • 貸し出し場所の案内が必要
  • 等々

 けっこう面倒くさいですよね。
 自転車+IoTで自転車をスマート化することで、これらの課題を一気に解決することができます。

 IoTによる技術革新の流れは既存の製品・サービスを破壊するポテンシャルを秘めています。第四次産業革命とも称され、その経済的影響力は数百兆円とも言われていますが、現段階では多くの可能性(ホームオートメーション、監視/セキュリティ、遠隔コントロール等)が示唆されるものの、既存市場を破壊し尽くすまでの猛威は振るっていません。「何でもできそうだけれども、何をするのが良いか?」決めあぐねているのが多くの企業の現状ではないでしょうか。

 破壊的イノベーションは人間と技術の両サイドの変化によって起こります。IoTのような破壊的技術は、それによって人間が本質的にやりたいことを実現できたときに初めて爆発的な普及力を見せます。つまり、技術サイドではなく、人間が本質的にやりたいことの変化および、それを実現できないでいる障害を特定し、その障害を破壊的技術がどう取り除くかを描くことで、IoTをビジネスチャンスに変えることができます。

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 IoTを活用して、ジョブを解決し、ビジネスチャンスを作る。
 JOBSメソッドの応用セミナーも開催しております。

無事機体設計を終え、大会に向けて作業を進める毎日をすごしていた3月、突然その日がやってきた。

工房に到着すると作業テーブルとして使っていた畳一畳サイズのベニヤ板の上に一枚の葉書が届いていた。先に到着していた中尾に何かと聞くまでも無く、それが今年の大会出場の可否を決める書類審査の結果であることはすぐに分かった。自転車から飛び降りてダッシュでその文面を見ると、

専門家による厳選なる審査の結果、落選と判断させていただきました

が〜ん・・・ し〜ん・・・ ち〜ん

自分の中で完全に時間が止まった。可能性はゼロではないとは思っていたとはいえ、想定という意味では、ほぼゼロでだったためバックアッププランなんて全く考えていなかった。

まず何より思いついたのは、チームリーダーとしての責任感からか

今年一年どうしよう・・・何をしてすごそうか・・・

である。悔しいとかそんなんじゃ無く感情としてはニュートラル、頭の中が真っ白とはまさにこういう状況をさしていうのではないだろうか。

そこにもう一人のメンバーの健ちゃんがやってきた。自分達の雰囲気を見て事を察したようだ。そこには言葉は殆どなかった。三人が放心状態で作業台を囲んでいるときに、おっちゃん代表の中野さんがやってきた。

 中野:「どないしたんや?人生終わったような顔して?」
 津嶋:「いや・・・書類審査に落ちました」

 (少し沈黙)

 中野:「ほ〜ん、それで理由は聞いたんか?」

 津嶋:「理由を聞く?? 理由を聞くって言ったって、葉書での通知ですよ。」

 中野:「それやったらなおさらやろ。そんな紙っぺらでおまえらは納得するんか?おまえらの思いはそんなもんなんか?」

 津嶋:「・・・納得って言われても、どうすることもできないじゃないですか??」

 (ちょっと興奮ぎみ)

 中野:「葉書には普通連絡先が書いとるもんやろ、事務局とかなんとか・・・納得できんのんやったら電話して理由を聞いたらええやろ。」

 (確かに・・・)

 津嶋:「でもこういうのって誰に聞いたら・・・」
 中野:「そりゃぁ審査した責任者と話したいってゆ〜たらええやろ。それかプロデューサーとかなんとかいうのがおるやろが。」
 
 津嶋:「中野さんもしかしてプロデューサー知ってたりするんですか?」
 中野:「俺が知るわけないやろ」

 (沈黙)

 津嶋:「つながりますかねぇ」
 中野:「そんなん知らんわ、俺には関係ない話やからな・・・おまえらの好きにせぇ〜や。わっはっぁ〜」

この会話を通してまず自分の中で雷が落ちた・・・葉書を見たときに事務局に電話してみるなんて思いつきもしなかった。

その一方、中野さんにも試されてる・・・とも感じた。ここは引き下がるわけには行かない、「では準備してから・・・」なんて言ったらまた一蹴されるに決まっている。一度深呼吸して、工房横の中野さんの奥さんが働く事務所の電話を借りて電話してみることにした。

プルプルプル・・・

 事務局:「はい・・・読売テレビ鳥人間事務局です」

 津嶋:「あ・・・はい。え〜・・・鳥人間コンテストの書類審査に申し込んだ堺・風車の会の者ですけれども」

 事務局:「はい。いかがいたしましたでしょうか?」

 津嶋:「あ・・・本日、審査結果が届いたのですが、結果は落選ということでした。でも自分達は本気でがんばっておりまして、今年は絶対飛べるって思ってるんです。落選の理由を聞きたいと思っておりまして・・・え〜そこで審査の関係者にお繋ぎ頂きたいと思っておりまして・・・」

 事務局:「少々お待ちください」

 (少し沈黙)

 事務局:「今回の結果は大変残念なのですが、そういうお問い合わせに対しては個別に対応はしないことになっておりまして、申し訳ありませんがお引き取りいただければと思います。」

 津嶋:「え〜、そこをなんとかお願い出来ませんか?一言でもお話が聞ければ自分達も納得できると思うんです・・・お願いします。」
 
(うん?何を言っているんだか分からないがとにかく必死に食らいつくしかない)
 
 事務局:「申し訳ありません」

ガチャン・・・プー、プー、プー

 中野さん:「ど〜やった?納得できる話は聞けたんか?」

 津嶋:「いや・・・個別には対応できないということで断られました。」

 中野さん:「わっはっは〜そうか。事務局もつめたいよなぁ〜。」
 
 (そんな笑われても・・・そもそも繋がると思ってなかったんじゃぁ??)
 
 津嶋:「普通こういうのって繋がるもんなんですか?」

 中野さん:普通??・・・そんなん普通なんかあるわけないやろ。あの手この手で繋げるんや。」

 津嶋:「・・・」
(まぁ言いたいことは分かりますが・・・そんなに手の内ないし・・・)
 
 (沈黙)
 
 中野さん:「で??もう諦めたんか?」

 津嶋:「え??・・・もう1回電話しても、同じことになりそうなので・・・」
 
中野さん:「はぁ?これやからおまえらはダメなんや。プロデューサーはどこに出社しとるんや?」

 津嶋:「まぁそりゃぁテレビ局じゃないですかね。」
 
 中野さん:「せやろ・・・テレビ局にはどうやって入るんや?」
 
 津嶋:「そりゃぁ入り口からですよね・・・(なんでこんなことを聞く??・・・もしや)」

 中野さん:行ったらええやん?その入り口に。毎日待っとったら会えるやろ。おまえら学生やし、大阪に住んどるんやからそれを活かさない手はないやろ。頭は使うためにあるんや、飾りやないで」

 津嶋:「(きた〜この突っ込み)・・・ですね。ちょっと作戦考えてみます」

再び自分の中に雷が落ちた・・・。自分の枠がこの瞬間一気に吹き飛んだ。これかぁ・・・自分がずっと違和感を感じていた・・・そしてなんか重いと感じていた枠、壁、錨・・・の存在に気づいた。

会いたい人に会うための手段・・・これを外せば選択肢はいくらでも考えられるじゃないか・・・しかし、こんなん本当にうまくいくんやろか??ありなんかなぁ??不安と疑問で一杯の中、プロデューサーにどうやって会うか?それを考えることにした。

その翌日、いろいろ考えたが結果的に正面突破以外の妙案が見つからず、早朝に社員用の通用口前にでも会えるまで毎日通うしかない・・・という覚悟で、テレビ局近くに住んでいた中尾とスケジュールを考え始めていた。

その時、中野さんから奥さんから、

「津嶋くん・・・なんか今日読売テレビから電話があってね、このプロデューサー宛に電話して欲しいという事みたいよ。なんやろね?」

あらら・・・どうやら会いたかったプロデューサー宛てに電話して欲しいとのことらしい。こっちの思いが伝わったのかな??よく分からないけど、とりあえず電話してみることにした。

わぉ!どういう事の変化か分からないが、どうやら会うだけは会ってくれるらしい・・・指定された日時に中尾と二人でテレビ局に訪問することを約束することができた。


そしてその日がやってきた。二人は当時まだ18歳、有名企業の・・・しかもテレビ局で打ち合わせをするというだけでも心臓バクバクのシチュエーション。しかも自分が挑戦しようとしている番組のプロデューサーに書類審査落選の撤回交渉をする?!という極めてチャレンジングな場に臨むことになったわけである。

 二人:「こんにちは」
 プロデューサー(P):「いやぁ、よく来たね。」

(あら・・・色黒の少し強面の方ですが、想像以上にフレンドリー)

 津嶋:「今日はお時間を頂きましてありがとうございます。」
 P:「要件は分かってるよ。ただ審査は専門家の評価を元に平等に実施されているからね。その結果として、君たちの機体は不完全という判断が下されていたんだよね・・・。」

 津嶋:「どの辺りが不十分でした??図面だけでは伝えられない事が沢山あると思うので、今日は他の資料や写真も多数持参しました。これらを見て頂ければ、飛ぶ機体だということを理解頂けると思っています。」

 P:「う〜ん・・・気持ちは分かるけどね、審査は基本図面だけで行われてるんだよね。補足資料があったとしても君たちだけ例外というわけには・・・」

 津嶋:「それは分かっておりますが、よろしくお願いします(とにかく思いを伝えるしかない・・・)」

 (沈黙)

 P:「まぁね。君たちの思いは分かった。ただ同じような理由で落選しているチームは沢山あるんだよね。君たちは、たまたま大阪にいたからこうしてここに来れているけど、そう簡単にこれないチームも一杯あるんだよね・・・ただ確約はできないけど、今考えていることをすべて図面上に描いてみて。一応、内部で再検討することだけは約束するよ」

 二人:「ありがとうございます。必ず納得していただく図面に仕上げます」

お〜!!!いけるかもしれない。帰りはこれを期におっちゃんに任せっきりだった図面を自分達でやろう。短期間にCADのオペレーションをマスターしてプロデューサーをうならせる図面を描くぞ!と心に決めて、二人で大興奮で帰路についたのである。


ここからはプラント設計をしていたおっちゃんメンバーの会社に通い、CADの使い方を教わりながら、以前はA3だった図面を大型プロッターを活用してA0サイズ(841mm×1189mmの大判)の図面の中にとにかく様々な情報を盛り込んだ図面を形にしていった。この辺り目標ができたら強いのが若い力である。おっちゃんメンバーにも協力してもらいながら毎晩夜遅くまでの作業を繰り返し、期限までに自分達としても納得のいく図面に仕上げることができた。


EgretDrawing.gif
そして約束の日時に大きな図面を抱えて自信をもって再びテレビ局に伺うことになった。
プロデューサーからは、なんと!

「思いと図面は受け取りました。君たちを応援したいと思います。」

その一言の後、社会を知るための尺度の持ち方についての考えを時間を掛けてお話いただき、ご自身が担当している他の番組の見学も約束してくれた。


落選の葉書を受け取ってたどん底からの怒濤の2週間・・・正直何が起こったのか、正直自分の中でもうまく整理がつかないでいた。

ただ・・・この2週間の自分達の行動で、我々の未来が180度変わった事だけは真実である。


笑顔一杯で工房に帰った。まず何より中野さんにその結果を伝えたかった。

 津嶋:「中野さん 今年出場できるようになりました!信じられません。奇跡ですよこれ。」

 中野:「何が奇跡や?!おまえ全然わかってへんなぁ。世の中は何でも自分達と同じ人間が決めとるんや。神様が決めてとるわけやないんや。おまえらがつかんだ結果やないか・・・奇跡なわけないやろ。分かったか?」

 中野:「・・・でも良かったな。」「プロデューサーは応援するっていうてくれたんやろ。今度はおまえらがその期待に応える番やぞ。約束は守るもんやで」


この一連の出来事は津嶋自身にとって人生への向き合い方のパラダイムを大きく変えることになった。
そしてこれをきっかけにしてWindMill Clubの活動は大きく加速して行くことになる。

そして何よりこの出来事の裏には、1年半後に初めて分かった真実のサイドストーリーがある。
気になるかと思うが、それはまだまだ先の回にとっておこうと思う。 


パイロット中尾がトレーニングに勤しんでいた一方、リーダー津嶋&他のメンバーも日々の過ごし方を試行錯誤していた。

大学に活動場所を確保したいという思いで、学生課の門を叩くも・・・新しい文化部連合所属クラブを作るとなるとまだ実績もないチームでもあり、ここ数年新規としては前例がないということで、具体的な検討にすら上がらない。学内にどこか拠点を・・・と活動場所の検討をお願いしても、部室の空き待ちで当分その予定はなしと断られる。

すぐに大学公式のクラブ化は難しいとしても、来年の鳥人間コンテストへのエントリーチーム名に大学名を入れても良いか?という問いに対しても、大学のダメっぷりが全国ネットで流れるかもしれない・・・可能性もあってか、

 いわゆるノーコメント・・・

である。

その当時はこれだけ自分達は本気だし、

 大阪府大という全国的には微妙なポジションでマイナーな?!大学を全国ネットの有名TV番組で大きく宣伝するいい機会になる・・・

という思いでやってるのになんで??なんで??という気持ちであったが、今思うとまぁ普通の大人の対応である。

大学側の調整は全く進みそうにないので、1年目の拠点は中野さんの会社の倉庫を工房とすることを決めて、バイトで行けない日を除いてここに通うことに決めた。しかし、実はこの工房中野さんの自宅と直結していたこともあり、工房に伺う日はほぼ毎日奥さんが夕食をメンバー全員に振る舞ってくれていた。

そして鳥人間の飛行機工房として認知が進むにつれその近所のおっちゃんやおばちゃん達とも仲良くなり、


「毎日がんばってんな〜」「今年はがんばってや〜」「応援してるで〜」


という暖かい言葉や様々な差し入れが届けられる空間になっていった。


これがこの工房が自分達にとっての
第二の自宅とも言えるほど思い入れが詰まっていった所以でもある。 


また機体製作に必要な工房とおっちゃん達のもろもろの支援はあるにせよ、いろいろ活動費用が掛かってくることを想定して、部費は毎月7000円と学生としては結構高めに設定した。今後新規に加わるメンバーからは高いだのなんだの常にクレームに繋がっていくことになるが、今思うとこれも活動に対するメンバーのコミットメントにもなっていたと思う。


鳥人間コンテストに出場するためには、活動としての大きなマイルストーンは、チーム層が厚かった当時倍率10倍とも言われていた(実際は知らないが・・・)非常に難関の

書類審査

というものを通過しなければならない。一年目は産官学連携チーム ×女性パイロットという話題性でなんとか突破できた実績があるものの、全く結果を残せなかった2年目のハードルはむしろ高くなっていることは誰にでも予想された。正直テレビ局の論理もよく分からなかった純粋な若者にとっては、

とにかく今年からは本気モードなので、確実に飛ぶ機体を設計する

という真っ正面突破的なアイデアしかなかった。

そのためには実績の高いスタンダードなトラクタープロペラ(機体の前方にプロペラを配置)レイアウトで、翼幅も25m前後で、駆動系もチェーン駆動という当時定番のスペックの機体でまず実績をつくる・・・というのがこの時に描いた青写真だった。

それに並行して活動として、

 ・そもそも人力飛行機ってなんぞやという最低限の知識

 ・飛ぶ機体の製作技術

を身につけていった。

しかし、人力飛行機を学ぶといっても世の中に一般的に出回っている資料は殆ど無い。当時はまだインターネットも無かったため、図書館や関係者から資料や論文を譲って貰うしかてはない。今と比べると情報収集はかなり手間がかかった。

その中でも意外に高校時代から使っていたのが今の若者は殆ど知らないであろういわゆる"パソコン通信"・・・その中でもNifty-Serveにあった鳥人間フォーラムは情報交換の場として非常に役にたった。現役鳥人間は少なくOBが多い印象ではあったが、特に同時期にチームをスタートしていた東京都立大学を初めとする数名の方々には、このフォーラムを通して多くのことを勉強させてもらった。


しかし、当時はまだまだCADも身近ではない時代。工房には製作に必要な道具は最低限揃ってはいるものの製図に必要な道具はなかったこともあり、申請書に向けた機体の図面化はおっちゃんメンバーの中の一人の増本(仮名)さんにお願いしていた。

ただ・・・体を動かす製作から入った自分達には図面がないと製作できないという意識は全くなく、身近にある材料を組み合わせながら手探りで製作には着手していた・・・ある意味、製作先行で図面は後追いで描いていたいたのが実態に近い。

正直いうと数ヶ月の学習から飛行機が設計できるようになるとは、この時到底思えなかったのである。航空宇宙工学科なんだから相談できる先生が沢山いるだろ??という突っ込みもあるかもしれないが、

航空宇宙工学科といえでも実際に飛行機を設計したことのある先生は・・・いない

かも、もっとも近いテーマを研究している学科の先生に入学時に全否定された手前、聞きに行くわけにもいかない。(ここは最低限の自分達のプライドってやつだったかな)

誰もそもそも論を語らない、語れない・・・目の前にあるものといえば過去の機体の映像とバルサ材、発泡スチロール、フィルムという材料とカッターナイフや接着材という道具のみ。

昨年は深田さんの指導のままに分け分からず作っていたが、今度はその中で学んだことを自分達なりに解釈して自分達で方針を決めて作る。つまり、製作という実践を通して体で学んで行くしかない。

結果的にこのアプローチが自分達の人力飛行に対する学びを飛躍的に加速させた


そんな日々を過ごしているうちになんとなく行けそうな気がしてきた。自分達の期待が琵琶湖の大空に舞い上がっていくイメージが描けるようになってきた。

同時にパイロット中尾のトレーニング成果も出てきて順調に力を伸ばしてきている。

飛べる!あとは無事書類審査に通りさせすれば・・・


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この時、自分の人生を大きく変えることになる波乱がこの後起こるなどとは全く想像もしていなかった。


20年経っただろうからもう時効だろう・・・だから当時起こったことをそのまま描きたいと思う。

この後の出来事を通して津嶋自身のパラダイムが大きく変わることになる。これが自分にとってもそしてこれからのWindMill Clubにとっても進化になる。


乞うご期待ください。


初めての大会の悔しさをバネにやったるぞぉ!

と・・・活動をスタートしたわけではあるが、結局何から着手をしたら良いか分からない・・・。設計図もない飛行機をいきなりつくるわけでもなく、活動計画もそもそも設計、製作にどれぐらい掛かるかも検討もつかない。

とりあえずパイロット中尾はトレーニング、その他のメンバーは身近にある資料や飛行機関連の書籍をあさりながら人力飛行機はなんぞや??というそもそものところから勉強に着手したのである。


それはそれは、華やかな大会のイメージからすると極めて地味な毎日。


・・・自ら作業をつくっていかなければ何にもすることがないそんな感じである。

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2回目のチャレンジの桟橋にて:ここを目指すまでのストーリー


まずはパイロット中尾の1年目の試行錯誤の日々を紹介しよう。

初めての鳥人間コンテストが残念な結果で終わったおかげで単に「パイロットやりたいなぁ」という思いから「絶対に飛びたい!」という思いへ変わることができた。もしそこそこ飛んでいたら「こんなものか」となめていたと思う。

ということで悔しさをバネにパイロットを目指してトレーニングを始めることになったが・・・
今はネットで検索すれば自転車情報は山ほど出てくるが、当時はネットもなくスポーツ自転車自体がマイナースポーツで情報が少なかった。
それまで自転車といえばママチャリしか乗ったことがなく、自転車競技をやっている知り合いもいない。何が分からないかも分からない状態の中、手探りで進めていくほかなかった。

何はともあれまずは自転車がないと始まらない。しかし、学生は基本的に貧乏であるため、いきなりすべてのグッズを揃える余裕なんてない。スタートしたばかりのクラブにももちんお金がない・・・。

幸いにもおっちゃんの一人が乗っていないマウンテンバイクを譲ってくれることになった。

次は服装。
ヘルメットは前パイロットが使っていたものを譲り受けたが、あとは高校の部活で使っていたジャージにTシャツ、普通のスニーカーという全く自転車乗りらしくない格好で僕のバイクライフはスタートした。もちろんサングラスやグローブもない。

今は恥ずかしくてとてもそんな格好では乗れない。当時の写真が残ってなくて本当に良かった(笑)


とりあえず最低限の道具は揃ったのであとは練習あるのみ。
もちろん自転車の練習方法は全く分からなかったが「とにかく乗れば体力はつくだろう」ということで自転車通学(片道約20km)をすることにした。

こんな感じで恐らく必要最低限以下の装備と知識でパイロットに向けたトレーニングは始まった。


自転車通学を始めてすぐに困ったのは、当時大学未公認だったため部室のような拠点となる場所が学内になかったこと。

なので汗だくで大学に到着したら図書館のトイレで着替えていたし、教科書や辞書を毎日全てリュックに入れて自転車通学したがこれは腰がつらく、一週間もしないうちに「これではやってられない」と思うようになった。


そこで、当時大学から6kmぐらい離れたおっちゃん代表の中野さんの自宅倉庫を工房として使っていたのだが、そこに寄ってから大学に行くことにした。

朝工房まで自転車で行き(約22km)、工房に置いてあるエアロバイクを2〜30分こいでから着替えて大学に向かい、帰りも工房で着替えてから家に帰る。工房を拠点として荷物も置かせてもらうことでとても楽になった。
このパターンはしっくりきてパイロット時代はずっとこれで通すことになる。早い段階でよい生活リズムを確立できたことがトレーニングを継続できた一つの理由かなと思う。


通学というのも大きな強制力になった。
定期券をやめたので電車でいく時は自腹。そうなると貧乏学生としては少しでも交通費を浮かしたい。雨とバイトの日以外は何が何でも自転車に乗ろうという気持ちになる。
こうして自転車でトレーニングすることが習慣になっていった。


道具はバイト代を投資して少しずつグレードアップ。

最初はレーサーパンツ。やっぱり普通のジャージはバタバタして走りにくいしお尻も痛い。これに変えてとても走りやすくなった。

次はビンディングペダルとシューズ。それまでのスニーカー&トゥクリップとは雲泥の差の快適さだった。

そして、たまたま見つけた型落ちバーゲンセールのバイクジャージを購入。やっぱりTシャツよりも快適。一度着るともうTシャツでは走りたくなくなる。

こうして秋頃にはだいぶ自転車乗りっぽい風貌になってきた。そこでもう一つ大きな変化があった。

それはマウンテンバイクからロードバイクに乗り換えたこと。

これもおっちゃんメンバーの一人が乗らずに放置していたものを譲り受けた。こういうのには本当に恵まれていたと思う。ロードバイクのその軽い走りに感激しさらに自転車の乗るのが楽しくなった。

こうして、3〜4ヶ月経ってやっと「ロードバイクでトレーニングするパイロット」という今では当たり前な状況にまで辿り着くことになる。


一方でトレーニングはどうやっていたかだが、一応自転車雑誌などを見て「長い時間ゆっくり乗るのが基本」というのは知っていた。

しかし、長距離を走るロードレースではそれでよいと思うが、

当時の鳥人間コンテストの優勝記録は約2km、実際の飛行時間は5分ぐらい飛べば優勝が狙える距離である。

つまり高いパワーを短時間出す能力が求められるのでちょっと違うなと思った。それに通学練習が基本だから1時間以上のんびり乗る時間もない。

ということで、選んだ方法は「とにかく全力で頑張る」という根性論的なものだった(笑)通学コースもその方針を後押しした。


通学は大阪市内を縦断するコースだったので、朝の通勤時間はとにかく車と信号と違法駐停車が多い。
自転車は路肩を走れといわれるが、路肩は駐車車両が邪魔で走れない。自然と本線寄りを走ることになる。
そうなると車の流れに乗らないと危ないので嫌でも全力で走らざるをえない。

ということで、信号が変わるたびに全力で加速して車の流れに乗り、巡航状態にはいったと思ったら信号で停車、というのを繰り返すことなる。

当時は車が怖くて必死にやっていただけだったが、これは良いインターバルトレーニングになっていた。

トレーニングのもう一つの柱は活動拠点の工房に置いてある唯一のハイテクアイテムであったキャットアイ製のエアロバイクでのトレーニング

パワーと心拍数が測定できる夢のようなマシンだったが、当時は心拍トレーニングがやっと認知され始めた頃でパワートレーニングなんて影も形もなかった。なので、せっかく数字は出るもののそれをトレーニングにどう活用すればよいか全くわからなかった。


ただ、人力飛行機を飛ばすのに必要なパワーは280〜300W前後で、そのパワーを10〜20分も出せば優勝争いに加われることは予想できた。そうすると目標は自然と300W×20分に決まった。

この目標設定から振り返ると、当時から一応優勝するつもりはあったらしい(笑)

とはいえ始めた当初は200Wで10分できるかどうかというレベルで、いきなり300Wなんてとても無理。
大会まで時間もタップリあるので「精も根も尽き果てないぐらいのペースでやろう」と思い次のようなプログラムを考えた。

たとえば200W×10分間からスタートして翌日は11分、その翌日は13分と1分刻みで時間を増やしていき20分まで継続できるようになったら、次は230Wで10分からスタートして1分刻みで増やしていく・・・

キツさとしてはほぼ毎回全力を出さないとクリアできないぐらい。

でも初心者だったこともあり、この方法で当時は面白いように記録は伸びていった。

だた、エンジンの方は順調にパワーアップしていったがパイロットとしてのもう一つの重要な要素、操縦技術については春まで全くの手つかず。

当時は操縦の重要性が理解というか実感できてなくて「自転車にのるようなものだろう」ぐらいの感覚だった。実際にテストフライトが始まるとこの認識がいかに甘かったかを痛感することになる。

こちらの方はテストフライトの話でまた詳しく書こうと思う。 

後編につづく!

過去最大級のメガヒットゲーム

日本でのリリースが待ち遠しいPokemon GOは史上最高のゲームとなりました。 また、スマホアプリとしても、facebookを抜いて最も利用時間の長いものになりました。 ポケモンを使った通称「位置ゲー」としてたまたまヒットしたのでしょうか。それとも、秘訣が隠されているのでしょうか。

Pokemon Goのルーツ

Pokemon Goのルーツを見ていきましょう。Pokemon GoはIngressというゲームを元に作られています。Ingressは革新的なコンセプトのゲームで、Google Map上に表示される仮想的な陣取り合戦を、実際に街中を歩き回ることでプレイする拡張現実(AR)のゲームです。私も一時プレイしていたのですが、アイテムを探したり、敵陣の要所を探したりと外を歩くのが楽しくなります。実際、ネット上でのIngressの反応を見ていると、「歩くのが苦じゃなくなった」「どんどん歩いちゃう」「街を新発見した」という散歩としての楽しさを取り上げる人は少なくありません。

実は、IngressというのはGoogle社内で生まれたプロジェクトです。Google社内のNiantic LabというチームがIngressを開発し、カーブアウトしてできた会社です。カーブアウト後は外部の投資家(フジテレビを含む広告・マスメディア関連企業や数人の個人投資家)の投資を受け、その後Pokemon GOを開発するためにGoogleと任天堂、ポケモンカンパニーから3000万ドルの大型増資を引き受けています。

NianticのCEOであるHankeは元々はKeyholeという会社を2001年に立ち上げた起業家で、2004年にGoogleで買収されています。買収した後、このチームはGoogle Earthをリリース、さらにストリートビューも開発しています。

GoogleはKeyholeというベンチャーを早期に買収し、地図系のアプリを拡充することに成功しますが、IngressとNianticを切り離すことにします。Googleから切り離した方が、任天堂をはじめとする様々な企業とのコラボがしやすいからです。「位置ゲー」はゲーム内のアイテムをコレクションする楽しみを集客などに生かすことで、経済効果を生みやすいゲームです。さらに、そのバーチャルなアイテムにはブランド力のあるポケモンを使うことで、ブランドとゲーム、商業施設の相乗効果が相当期待できます。今後ディズニーキャラクターの位置ゲーなども登場するのではないでしょうか。

任天堂にしてみれば、ゲーム専用機での地位がスマホゲーム全盛期になり、出遅れ感は否めないタイミングでした。そこに、ポケモンを使ったスマホゲームのアイデアが飛び込んできたら乗らない手はありません。資本協力もしながらゲーム開発もできる機会でした。当然、ポケモンの世界観も保存されます。実世界の中でもモンスター集めに興じる体験を提供できるようになったのですから。

ゲームを成長させた経営判断

Niantic側、Google側、任天堂側からPokemon GOの誕生経緯を見てきましたが、このゲームがヒットした理由には普通できないようないくつかの判断があったと考えます。

  1. 切り離した方が大きくなるであろう社内ベンチャーをGoogleはカーブアウトした
  2. マスメディア関連企業との協業が成長の秘訣と見ると、戦略提携だけでなく資本提携を受け入れた
  3. Googleは買収した企業を内部化すると同時に、自由度と権限を与えNianticを生んだ
  4. IngressとPokemon GOはゲームでありながら、外を歩くゲームであり、単なる暇つぶしを超えて「健康でありたい」「外の空気を吸いたい」「好きなキャラクターを集めたい」というジョブを対象にしている
  5. 新しいものを受け入れるマーケットから順々にリリースし、日本のような保守的なマーケットには実績と経験を得てから導入している(AirBnBが日本初のスタートアップだったら即死です)

こういう偶然に見えるブームも、イノベーションのセオリーには逆らわずにやっているものですね。日本でのリリースが待ち遠しい限りです。



初めて参加した第18回鳥人間コンテスト


サポーターとして立候補してくれた友人達には「もちろん飛ぶから応援に来てね・・・TVに出れるかもしれへんし・・・」なんていわゆる典型的な集客コメントを振りまいていた。

もちろんこれらの効果はてきめんで、大学から応援バスのチャーターが必要なほど多くの友人や大学の近所の方々応援に来てくれたのだ。その辺りがさすが関西だと知らない人がいない人気番組?!お祭り好きの関西人にとっては、知り合いが出るというだけでのすさまじいインパクトである。

がしかし正直に白状すると大会前からまともなフライトができる可能性はないと思っていた。ただ心の中ではほんの僅かながらもしかしたら・・・奇跡がおこって少しは飛べるかも??という下心としての期待もあった。

ただ自分達としては、中尾は機体押し、そして津嶋は翼持ちとしてプラットフォームに上がることができただけでも一般視聴者からすると大変贅沢な経験ではあった。

ただ10mの高さから真っ逆さまに落下する機体を目の当たりにすると、何物にも代えがたいくやしさがこみ上げてきた。

それは結果にというより、こんな大舞台に来ているにもかかわらず、何もできていない・・・そしてやろうとしてもできない自分に対しての憤りだった。

そして100%当事者でないと、いくらお祭りであっても全く楽しめないという自分の性格を改めて再認識した。

やっぱり本気じゃないと全然楽しくない・・・。当然の結果だとはいえ、プラットフォームを意気消沈してトボトボ下りながら、例年は必ず良い機体を持ってきてやる・・・なんて大会前には全く考えられないぐらいの熱い思いがこみ上げてきていた。


琵琶湖には・・・あのプラットフォームには、一度上がると誰もが引き込まれてしまう魔力があったのである。

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これがいわゆる大舞台が人の心を揺さぶるというエモーショナルな魔力である。


この1年目のプラットフォームでのできごとがあったからこそ、
学生生活すべてをこの鳥人間に掛けてもいいという気持ちが決まった。


といっても過言ではない。単なるノリだけではその後の

というまで第一回大会終了時までの補足も含めた振り返り・・・。


そして大会終了後の今後どうするか学生メンバーそれぞれの思いを共有することになった。みんなもちろん鳥人間は好きだ・・・だからこそここにいる。でも学生生活すべてをコミットできるか??と問われると他のサークル活動、恋愛、バイトなどなど楽しそうな誘惑が一杯の中、簡単に決められるものではない。しかも


おっちゃん達は本気でやることを約束しないかぎり支援してくれそうにない


これはメンバーで合意していたかどうかは忘れてたが、いくつかのポリシーをおっちゃん達にコミットすることになった。

 ・ボチャンはしない
  (初出場の時やってしまった離陸後即墜落はしない・・・
   つまり、航空宇宙工学科の恥さらしはしないということ。
   残念ながらこの段階ではまさか優勝を目標にすべきだなんて夢にも思っていなかった)

 ・留年しない
  (留年したら即退部)


これは裏返せば、入学時に大学教授に言われた鳥人間コンテスト出場を勧めない理由そのものである。今思うとおっちゃん達もこの辺りは大学と自分達のことも考えてくれた上での決めごとにしてくれたんだと思う。ただ、この手のコミットは今後毎年増えていくことになるのだが・・・。


そんな中で大会に初出場を手伝っていた6名のメンバーの中で、本気でやろうと決めたメンバーは結局3名。後はサポーターとして間接的な支援をしてくれることになった。

個人的にはもう一人どうしても口説きたい仲間がおり、熱烈アプローチをしたが、こういうのは片思いでは成立しない。こういうのはいわゆる恋愛と同じである。口説いてどうにかなるものでもないというのも改めて感じた苦い経験でもあった。


チームの名前は"風車の会"をそのまま英語にし大学名を加えた


"大阪府立大学WindMill Club"


当時大学名でエントリーすることは大学側から認めれていなかった。しかし、いつか"大阪府立大学"という名前を自信を持ってテレビに出したい・・・自分としてはそれに非常にこだわっていた。このように無条件で母校を愛してしまうのも日本人ならではの忠誠心だったのかもしれない。 そしてそれはその2年後、大会新記録で総合優勝という結果を残した後に初めて実現することになる。


WindMill ClubのMが大文字なのがチーム名としての重要なポイントであるが、これはデザイン上のバランスといいつつ、WCだとトイレになるので、略語をWMCとするためもものである(笑)

機体のコンセプトとしてはとりあえず確実かつ無難に飛ぶこと・・・人力プロペラ機としては定番のレイアウト(トラクタータイプ)機体サイズでいくことを決定

そしてパイロットは元水泳部の「中尾 誠」・・・この能力は未定?!


こうして我々の2年目のチャレンジがスタートすることになる。


 

どうやって商品の差別化を図るかは多くの企業が取り組んでいる課題です。

的確に差別化ポイントを見極めていくには、顧客の立場に立って、本質的にやりたい事を整理し、何に不満足か?何が過剰か?を見極め、「そうそう、今まさにこういうのが欲しかった!」とライトスポットをつくことが重要です。

ここで不満足とは顧客がやりたい事を十分に解決できていない部分、過剰とは顧客がそれほど関心が無いのに提供側の論理で過剰な機能やサービスを提供し、かつ価格に転嫁している部分を指します。

このライトスポットは商品が最初に市場に提供され始めてから(正確にはその商品カテゴリーが誕生してから)しだいに変化していきます。そのため、継続的に市場での地位を得ていくためには、この差別化ポイントを的確に見極めつつ、タイミングよく変化させていくことが必要です。

ところが、これはいうほど簡単ではありません。

  • 最初に商品を提供した企業(新カテゴリーをつくった企業)はいつの間にか顧客よりも自社の基準をドグマ(教義)として掲げるようになり、いつしか顧客の信頼を失って自社満足な過剰な商品を売り込むようになります。一部のコアなファンの評価は受けますが、市場のメインストリームからは外れていきます。

  • 後発で参入した企業は先行者のリプレイス(分かり易いターゲット)ばかりを追いかけて、よく似た商品の投入をしてしまいます。微差の性能での競争を続け、同じような商品が乱立し、誰も儲からないレッドオーシャンにしてしまいます。消費者からも「似たような商品ばかりで何を選んだらよいのかわからない」と提供側の苦労が報われない声が上がってきます。

こうした不毛な競争に陥らないために、何が顧客にとって意味のある差別化かを見極めるためのポイントを紹介します。
背景にあるのは「イノベーションのジレンマ」「Jobs to be done」の理論です。

具体例として、国内におけるホテルの旅行予約サイトで考えてみましょう。

まずは新カテゴリーをつくった企業として、旅行予約サイトの草分けである楽天トラベルを考えてみます。楽天トラベルは2001年に楽天により開設され、2015年度の取扱額ではJTBグループに次ぐ旅行業者第2位です。その強さは品揃えにあり、登録宿泊施設数は日本国内が2万8千前後でトップです。出張の多いビジネスパーソンであればおそらく何度かはお世話になっているのではないでしょうか。

改めて、楽天トラベルが差別化しているポイントを挙げてみます。

  • 新価値 : ネットで簡単予約
  • 機能性 : 登録件数No1!
  • 信頼感 : 安心!、大手企業のグループ
  • 利便性 : お手軽!、検索し易い
  • 価格  : ポイント獲得!、楽天で利用可能、航空会社との提携

出発点としては、インターネットで予約できるという所で差別化を図りました。宿泊施設の数、航空券、パックツアー等の旅行用商品の品揃えを拡大しサイトとしての機能を増強し、大手企業のグループという事で知名度をあげ、顧客に対して信頼感、安心感を提供。イントや航空会社との提携で、お得感や利便性も高め、格安ビジネスパックによる価格面の訴求もされています。

ここまで差別化のポイントを追加されると、後発の参入は難しいと思っていたのですが、
最近CM等で目立ってきている別のサイトが、異なる差別化ポイントをついてきました。

ホテルズ160628.png

上の画像でお気づきでしょうか?お得感をゲーミフィケーションで補っています。

こちらは2008年に海外から日本に参入してきた後発サイトですが、日本版オリジナルキャラクター「ナンパグ」を設定したブランディングを実施し、10泊宿泊で1泊無料という分かり易いお得感を訴求しています。無料*と注意書きがついているように実は何でも無料という訳ではないし、ポイント還元率ではそれほどお得ではないかもしれないが、メッセージとしてお得感が伝わり易く、スタンプが溜まっていくゲームとしての面白さがあるところが特長です。
国内での品揃えで勝負せずに、新しい切り口での差別化ポイントをついているのは、レッドオーシャンを避けた適切な差別化といえます。これが成功したのも、消費者は、どうせ泊まるなら「得したい」というジョブを持っているからです。

ここで改めて差別化のポイントを整理します。
日本では後発のHotels.comは全方位ではとてもかないません。新価値という意味ではAirbnbがローカルの家に友達のように泊まれるという価値を提供しましたが、旅行予約サイトとしては簡単に真似できません。また、旅行予約サイトは既にプレーヤーが沢山いるので、機能性・信頼性で圧倒するというのも難しいですし、利便性だけでインパクトを出すのは難しくなっています。残った価格という競争軸で最安値保証、ポイント還元等で、どちらが得かという競争が行われていました。ここで数字としてのお得感から、「10泊で1泊無料!」というお得感の分かり易さで差別化したのがHotels.comです。

差別化ポイント(中).jpg

今回とりあげた差別化のための法則の背景にあるJobs to be doneから差別化への応用までを
としてお伝えします。
この機会に是非、背景の理論から差別化のポイントを理解し、皆さんのビジネスに役立ててください。
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Googleで「お祝いの花」を探そうとすると、「広告」とついた検索結果が上段に並びます。見覚えのある画面ですよね。
ご存知の方も多いと思いますが、Googleの収益源の9割は広告収入です。そして、その額は日本の大手広告代理店にも比肩しうる規模に育っています。
これだけの顧客を獲得しているのは、Googleという検索サイトのメディアとしての魅力が大きいからですが、広告の仕組みとしては何が違うのでしょうか?企業のジョブ(Jobs to be done:広告を雇う理由、本質的にやりたい事)は何かを考えるとその違いが見えてきます。

企業のジョブは以下の様なものですが、誰の視座(立場)で考えるかで異なります。
  • (経営層は)売上を伸ばしたい
  • (マーケ担当は)問合せを増やしたい
  • (営業は)顧客を集めたい
  • (商品企画は)商品の認知を上げたい
  • (広報担当は)企業イメージを伝えたい

企業がやりたい事は売上を伸ばす、もしくは、その手前の問合せ増加や商品・企業イメージを伝える事にありますが、広告という手段が効果的に解決できるジョブは何か?を考えてみましょう。

企業は商品・企業イメージを伝えるためのコンテンツ作りに莫大な費用をかけますが、それだけ莫大な投資をしても成果につながったかどうかは間接的にしか分かりません。アンケート等で顧客の反応を確認することはできますが、広告の利き目かどうかは推測の域を出ません。
それならば、「売り上げが上がるまでお金は頂きません!」と成果報酬型で売上連動による課金を試みているメディアもありますが、メディア側がそこまでリスクをとっても、複数の広告媒体を用いていたり、商品力、営業力の要因もあったりと、結局その広告の効果だけを切り分けることが出来ません。広告の売上への貢献度を直接測るのは、現時点では難しそうです。

改めて考えると、広告の依頼主が本質的にやりたい事は何なのでしょうか?「売上を上げたい」「払った費用に応じて売上を保証してほしい」だけしかないのでしょうか?もしそうだとしたら、広告業界はそもそも存在しません。

顧客のジョブを発見し、それに応えるのがイノベーションを起こす上で重要なのですが、必ずしも100%応える必要はありません。顧客が既存のサービスよりも欲しいと言ってくれる差別化が出来ていれば十分です。

「売上の保証」ができなくても「広告の効果を分かり易く見える化」

ポイントはターゲットにする顧客の視座(立場)に応じたジョブで差別化することです。広告の効果の見える化というポイントで競合と明らかな差を示すことです。ターゲットの顧客が「これなら欲しい!」と思うこと、そしてステークホルダーが他にもいる場合には、彼らが理解し納得しやすいことが大切です。

Google Adwordsの基本的な考え方は広告に対して、顧客が意図を持って行動した事をカウントし課金するというものです。webサイトでのクリック課金がこれに当たります。webサイトに掲載するだけでは無料で、そこでクリックされた段階で初めて課金されます。セールスプロセスのより前段で、購買までは至らないが「顧客に情報を得るという行動を促した」ということに対する成果報酬型課金を行っていることになります。もちろん、クリックされたからといって必ず売れる訳ではありませんが、「広告の効き目を測りやすい」という点では0/1の違いがあります。これが顧客が欲しいと感じる差別化です。

さらにコストに関しても支払いやすい工夫がされています。キーワード毎に入札価格が決まっていますので、煩わしい交渉をせずに判断できます。
また、集客に効きそうなキーワードを調べたり、自社の商品のポジショニングによっては割安のキーワードで効果を上げると言った試行錯誤も可能です。顧客からのフィードバックが得られる、それをみながらキーワードを工夫するという学習ループを回せるのが、この仕組みの付加価値です。
実際に購買に至るためには、周辺のジョブも上手に解決してあげる必要があります。

そして、こうした一連の仕組みを簡単に使えるようにしてユーザーに開放しているという意味では、Googleは既存の広告業界を破壊していると言えます。イノベーションは発明x普及。よりシンプルで皆に普及する仕組みを発明して、顧客の欲しさに訴えればイノベーションを加速できます。費用対効果の合理性が見えにくいビジネスには破壊的イノベーションの余地が眠っています。