言葉が世界観をつくる

Written by 山田 竜也 on 2021-06-14

5月の連休前に子供が通う小学校で、全校児童に一人一台タブレットが配られた。まだオンライン授業的な使い方はされておらず、動画見たり宿題のドリルを解くくらいだが、色々触りながら使い方を覚えている様だ。
おそらく、子供達は多くの親より早く使いこなせるだろう。まさに、習うより慣れろを実感する瞬間だ。
 
先日、お絵かきツールでカラフルな同心円の模様を描いていたので、聞いてみた。
「きれいに描けてるね、この色はどうやって選んだの?」
「タブレットから出てきた」
「(カラーパレットの順番なのかな・・・)どうして出てきた順に選んだの?」
「きれい好きだから」
「???」
 
頭の中に?マークが浮かびながら
ここで頭ごなしはいけないと思い、彼の世界観を除いてみた。
「きれいってどういう事?」
「きれいには二つあるんだよ」
「汚れているのをきれいにするの、きれいでしょ」
「後は・・・」
 
言葉が出てこなかった様なので、こちらから質問をしてみた。
「整理されている、整っている?」
「きちんと守っている事」
 
どうやら、規則やルールを守る・従うという事も、彼の世界観の中では”きれい”と定義されている事が分かった。
クリーンな政治家といった文脈なら、理解できなくもない意味のチョイスだが、当然そんな文脈を知っているとは思えない。
改めて、単語は文脈次第だなと思うと同時に、文脈や、その言葉をチョイスしている背景、そして、相手の中にある世界観を理解しないと、発言の真意は分からないと気付かされた。

 
 
 
もちろん、普段から、文脈を意識したコミュニケーションはとっている(つもりだ)し、仕事柄、背景は読んでいるつもりだが、文脈の更に深い所にある相手の価値観や見ている(見えている)世界観まで思いを馳せていることは少ないかもしれない。
 
意識をしていると言っても、そもそも、仕事や普段の生活の中では世界観まで違う人とコミュニケーションする機会は少ない。日本の、東京の、企業の、そこで働く人の、と、幾つものアンド条件で絞り込まれた人と接している中では、ある意味、ビジネスという共通言語の中で話している。この時点で既に偏った世界観の中にいるのかもしれない。
 
子供は最も身近にいる、最も離れた世界観の持ち主だ。
彼らの世界観を覗くことは、無意識に凝り固まっている大人の世界観に揺らぎを与えるための良い刺激になる。
 
一方で、彼らの世界観は、日々の言葉のシャワーの中で、形成されつつある壊れやすいものだ。こちらが理解できない表現(言葉の稚拙さ)を頭ごなしに叱ってしまうと、自分と異なる物の見方に気付く機会を失ってしまうし、子供の脳を雁字搦めに縛り付け、新しい物の見方を潰してしまうかもしれない。
 
 
”言葉が世界観をつくる”という事を実感するとともに、アンラーニングの不要な真っ白な脳に、良いシャワーを浴びせていこうと思い直すきっかけになった。
 
在宅勤務で家族で過ごす時間が増える中、我々大人はより振る舞いを見直す必要があるかもしれません。