「明日、ママがいない」というテレビ番組は、小学生にも注目されていたドラマのようです。それは、芦田愛菜ちゃんが出演する事、「ママがいない」の題名が子どもには黙って見過ごせない理由になっているらしいのです。ハリウッドデビューを果たし、彼女の女優魂は番組宣伝もあって朝の番組でも紹介されていて、大勢の人が撮影現場にいる中の監督の一声で愛菜ちゃんは悲しい顔をしてポロっと涙をこぼし、また監督の合図でケロっと演技を一つ終えた顔に戻る事は、小学生にも凄いと思わせるのに十分のよう。

 

 さて、このドラマは2回を終えたのですが批判が高まっているようです。スポンサー名を示さなくなっているそうです。お話は芦田愛菜ちゃんが演ずる赤ちゃんポストに捨てられた「ポスト」と、その児童養護施設に様々な理由で連れてこられる子ども、そして子どもを犬のように扱う施設側の何か訳ありは過去をもつ大人たちが登場します。子犬たち(子ども達)は、産みの親を忘れて新しい飼い主(家族)の所にいくよう(養子縁組を成立させるよう)に施設側に生活の中で迫られます。産みの母親と新しい母親候補の存在の間に子どもは様々な心の動きを感じます。

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近年、女性は「女の生き方」を自らイノベートしていくことを感じ取っていると思う。私も同じように、「女性だから我慢する」ことはない生き方をしてきた。男女関係ない環境がフェアだと思っている。大学の時は日本人が通ったことのない黒人率96%の大学で黒人文化の授業を受けてみた。治安が悪いと言われる地域にある大学駐車場で小さいアウトドア用のナイフと防犯ブザーをポケットの中で握りしめてまで。(笑)新卒の就職先は工場が好きだった為にメキシコでメキシコ人1000人、日本人10人弱、その中女一人で働いた。結婚もした、そのまま子どもも産んで会社には大体2か月後復帰をした。出産後に復帰したいと言った私に会社の人事本部長は「子どもが可哀相だから、3年くらい子育てに専念した方がいい」と返答した。外資系の会社で当時では初の産後復帰した社員だったそうです。勝手に社内で自分を売り込んでCFOが直下で働く事を認めてくださった。夜は、子どもが寝てから仕事の途中を2時くらいまで続けた。子が風邪を引いたら、徹夜でも看病して翌日に保育園に預けられるように熱が下がるのを祈っていたのを覚えている。勿論、家族が助けてくれたお蔭は大きいと感謝している。

 

そうまでして本当に得たいものはなんだったのか?今になると考えるのですが、自分の選択した事で1つ、2つと過去に決めた事を失い、それを我慢することが嫌だったと思う。一つ妥協したら、どんどん色々なものを失うと思っていたと思う。専業主婦になってしまうと世界観が狭くなるのでは?と思っていた。今みたいに「女性管理職を育てよう」やダイバーシティへの意識も低かった。私も全く求めていなかった。「自分で切り開く」「認めてくれないのは、努力が足りない」と思い、「実をみせろ!」と社長に言われて成果を出して取締役手前の組織図まで上っていくことができた。同僚男性も女性扱いをしてくれるとか、手加減しているところはなく、むしろライバル心を感じた事もあり、男性によっては意外な女々しさをみてしまい、又「さすが、男気あるね」と喜べない失笑の言葉も多々ある。

 

政府調査の統計によると、未婚女性が理想とするライフコースは出産後の再就職を望む女性が全体の34%、次いで両立を望む人は27%、専業主婦を望む人は現在パートや派遣、労働を基本とする女性に多く21%だった。初めて知った言葉だったのですが、DINKSDouble Income No KidS)という夫婦共稼ぎで子どもを望まないライフコースが、結婚したくないという女性と同等で合わせて全体の9%あった。この数字は年次増加傾向にあるらしい。

 

女性の生き方は誰から影響を受けるのでしょうか?どんな環境が影響するのでしょうか?どうやって、生き方を築いていくのでしょうか?私の母は父を亡くし、ある意味不可抗力で専業主婦から一転してキャリアウーマンとなり兄姉を医師にして、15歳も年の差のある私にも力を変えることなく米国の大学で会計士になれる知識と語学力を与えてくれた。彼女は海外に支社まで作って飛び回り、今思うと時代が良かったとは言え、男性社会の中で凄い人だと思う。(今でもバイタリティにより、妖怪と家族に言われている)でも、私は母と同じキャリアウーマンを望んだわけではないのです。昔の夢は、専業主婦!!経済力のある優しい旦那様、或はりんご農家へお嫁に行くこと(笑)でした。上記政府調査の統計でも、母親のライフコース別に未婚女性が望むライフコースが集計されていますが、両立の母親から育った女性は、再就職や専業主婦を望んでいます。私の場合には、母からは他の専業主婦のお母様から感じる「ゆるり」とした感覚を持てず、甘えたり、自分のことをジックリ話す事が出来なかった記憶を思い出してしまい専業主婦に憧れたのかも?とも分析します。

 

私の子どもは、自分の年表を2年前に書いたことがあります。86歳の「ブラックホールに吸い込まれて家族に見守られながらご臨終」との書き出しから始まります。(家族の見守る位置がきになりますね。)「素敵な人と出会い結婚」は34歳でした。「子どもが生まれる」はその後数年続きます。「夢の職業につく-①スポーツ選手として②オペラの脚本家③検事か弁護士」が31歳。「大学院に行く」と28歳にあり、「大学にいく」のは18歳から22歳に間にありました。それまでは、スポーツ選手になれるように専念するようです。当時の年齢から18歳までは、夢の職業と➡で繋がれていて習い事ややっていかないとならない事が書かれています。彼女は両立型ライフコースのようですね。

 

私たち大人になった女性は、今後どういう風に生きていきたいのか。「明日、ママがいない」から感じ取れることが沢山あるのではないでしょうか。将来、どんな女性が世の中に増えて欲しいのか、考えてみることの切掛けになりませんか。今辛い人は何故そうなったのか。今、幸せで満足な人はどうやったら同じ女性を増やせるのか。母親が自分の子どもを養護施設に渡す事になる事情とはなんでしょうか。NPO法人の調べでは、全体の15%弱に親の虐待や酷使が一番の原因とあります。同じく、放任、怠慢が続きます。父または母の精神疾患が3位となっていました。10%以下の理由で、破産、経済的状況や親の就労がありました。5%以下の理由として、親の離婚、また不和、養育拒否、放棄とありました。1990年から2010年の20年間に虐待で養護施設に保護される子どもは50倍になったそうです。一方、厚生労働省の発表するデータでは、母子生活支援施設に関して、母一人子一人世帯が55%と一番多くあり、入所の理由は配偶者からの暴力で41%、母親の年齢は30代が50%、年収は300万以下が75%なのだそうです。

 

報道番組でも色々なドキュメンタリーが増えるでしょう。性犯罪に巻き込まれてしまった結果の出産、交際していた男性が妊娠発覚と同時に姿を消して一人で育てられない為に乳幼児を特別養子縁組で手放すこと。日本は中絶できるのに、妊娠に気づかなかった、或は勇気がなくて時期を超えてしまう女性がいます。もっと、もっと、女性同士がしっかりと社会にも身近な所でもお互いの人生をサポートできるアドバイスや、現状に留まらず笑顔たっぷりの人生のためにイノベートしていかないとならないのだと思います。


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