最近は若者の車離れ、テレビ離れ、CD離れ、などと様々な”○○離れ”が叫ばれていますが、これは一言でいうと”青春離れ”と言えるのではないかと考えています。
青春とは、若いからこそできる、分からないながらも、エネルギーあふれながら、理屈はないが、勢いのある時期です。心や体は発達したものの、大した経験はしておらず、空っぽな状態が生むエネルギーは凄い。一見役に立たたないと思われた青春時代の経験が後々とても役に立ったという話には限りがありません。スティーブ・ジョブスであれば、カリグラフィーを学んだりやカルトに入った経験がのちのクリエイティビティに影響したと言われています。
人は若いときは、地位や資産を持っていないため、比較的リスクを受け入れやすいという性質を持っています。あまり失うものはなく、素直にチャレンジしてみよう、やってみよう、という気になるものです。以前より「窮鼠猫をかむ」や「金持ちケンカせず」といった諺があるように、すでに有利な立場にあったり、持っているものがあれば、わざわざそれを賭して勝負をしない特性があります。「イノベーションのジレンマ」は人ではなく起業の事業規模が大きいとイノベーションが起こせなくなるというジレンマを指しています。
最近ではこういった人間の傾向や特性に対する理解が深まっており、「プロスペクト理論」などの理論が確立されています。要するに、若いときはチャレンジがしやすい環境にあり、青春状態を生むはずです。
そういえば、「青春」という言葉自体、最近あまり聞かなくなりました。なぜでしょうか?もはや死語だとするとさみしすぎます。
しかし、「青春」という単語がこの20年の間でなぜもこう使われなくなったのでしょうか?
それは、実はこの20年の間で私たち一人一人の人間だけでなく、社会も年を取ったからなのではないかと考えます。社会が成熟するとさまざまなインフラや社会制度が普及し、「ルール」や「常識」が数多く存在するようになります。これらのルールは決して悪いものではなく、過去の知恵を後世に残すために作られたものです。つまり、過去に起きたイノベーションの遺跡として、これらルールはそれなりの効果があり、その枠のなかで生きていくことが容易になっています。つまり、今の時代はあまりチャレンジをしなくても無難に過ごすことが可能になっているのです。「金持ちケンカせず」ですね。敢えて違ったことをやると「変人」と言われてしまいます。成熟社会のルールに従わないことで、失敗する可能性は確かに高まりますが、大きく成功する可能性も高まります。ここで強調したいのは、プロスペクト理論が教えてくれるように、人には何かを失うリスクを過大に評価する傾向があり、得られる成功よりも失う可能性のあることばかりを考えてしまいがちです。
ところが現代のように、社会基盤が整っているということは、実は失敗をしても大事には至らないということでもあります。チャレンジが失敗したとしても、案外失うものはないものです。むしろ失敗したと思っていても、その経験がのちに貴重な宝になるのではないでしょうか。