先日、大学のOB会で面白い体験をしたので、ぜひ紹介したいと思います。
OB会には、企業でバリバリ働き仕事上の夢を語る人もいれば、もう引退までの日数を数えている人もいた。そして、夢いっぱい不安いっぱいの学生もいた。
OB会を組織してくれて、会をまとめ上げてくれた幹事さんはとても元気な学生だった。
最近の若い学生のことをもっと知りたいと思い、話掛けてみた。
話してみると、就活が不安だという。見るところ、非常にさわやかな印象で話をし、難しい研究テーマにもきちんと取り組んでいる様子。こちらからの質問に対しても自分の言葉ではっきりと答えてくるいかにも優秀な学生だ。もちろん優秀かどうかは、この短い時間では分からないにせよ、就活に求められる要件は十分に満たしている。
だのに、である。志望する自動車メーカーまたは重電メーカーへの就職が不安だという。エンジニアとして一流企業で開発をやりたいとのこと。
超一流ではないにせよ、名の通った大学の大学院まで出て、そのなかでも目立って優秀そうな学生が不安だったら、今後の日本はどうなるのだろうか、と心配と興味半分でその理由を聞いてみた。
すると、英語が苦手なので受かるかどうか不安だという。
それは不安だろう。誰でも試験に落ちたくはない。
だが、今から苦手意識のあるものを得意にすることも難しかろう、でも熱意があれば英語なんか何とかなると思い、どんなクルマを創りたいのか尋ねてみた。
すると、どんなクルマを自分が創れるか「想像がつかない」というのだ。今の自動車にはさまざまな機能があって、これから発展するイメージが湧かないという。正直、これには驚いた。本当に驚いた。
だって、仮にも開発者を志望しているにも関わらず、これ以上開発する余地がなさそうだと言っているのだから。
まるで、自分の存在を無視してくれと言わんばかりだ。ほとんど進歩しないと思っている製品の開発をするというのは、いったいどういうことなのだろう。
開発とは何か少しでも新しいものを創ることを指すのではなかったか…
さすがに大人としてのおせっかいで、私の本音をぶつけてみた。
オジサンの説教など聞きたくはないかもしれないが、いま伝えておかないと、きっと取り返しがつかなくなるのではないかというような勝手な勘違いかもしれないが。
「ちょっと待って。今日完璧な会社に入りたいというのはわかるけど、君は明日の人だよ。開発する余地がないと思っているようなモノを作っている出来上がった会社に入ってどうするの?」
「それって、自分が会社を育てるってことですか?そんなことできません。」
「誰もそんなことは言ってないよ。会社に入るってことは会社の一部になるってことだ。一緒に成長するって感じかな。最初は先輩に教えてもらうことも多いかもしれないけど、会社も先輩も伸びしろがある方が君も成長できると思うけど。自分が輝いて働ける年頃に、会社も輝くべきだと思うよ。何歳くらいのときに一番バリバリ働きたいの?」
「そうですね。確かに30代から40代前半に一番活躍するかもしれません。なるほど、そういう視点はありませんでした。」
さまざまな就活生向け情報が耳に入ってくると、近視眼的になるのも仕方がないのだろう。何せ、「情報」の性質上、過去のものであるからだ。エントリーシートの書き方、志望動機の答え方、ジョブローテーション制度とは何か、正しいリクルートスーツ…
情報を沢山入手すること自体は悪いことではないが、過去の出来事から未来がきちんと読み取れることの方が重要だ。
オジサンのお説教も少しは響いたのだろう。
彼は最後に「宇宙開発についてもう少し考えてみます。」と言ってくれた。