マネの恐怖
新規事業の機会を探っていると、優れたアイデアが出たとしてもいつも出てくる素朴な疑問がある。
「他社に簡単にマネされるんじゃないか?」
素朴な顧客ニーズから得られたビジネスアイデアと言うものは、案外あまり気の衒った技術を必要としないため、即、他社にマネされるような気がしてくる。
それに対して、私はいつもこう問い返したくなる。
「なぜアップルのマネをしないのか?」
「facebookのマネをしてSNSを作る会社はなぜいないのか?」
「マネされることって、成功したっていうことでもありますよね?」
トラウマ
長い間、日本のメーカーはサムスンに代表されるコピーキャット製品に頭を悩まされてきた。優れた製品を作ると、似たような、しかも安い製品で追従され得られていた利益率が得られなくなってしまったからだ。しかし、それは先人が血と汗と涙を流して頑張った技術が時代とともに競争力が低下しただけ。先人が築いた資産を大事にする気持ちは分かるが、優れた技術であればあるほど、敵もさるもの。何とか身に付けようとあれこれ画策してくるのがこの世界だ。
参入障壁に関する先入観
日本企業、とりわけメーカーは「特許こそが参入障壁である」と考えがちだが、クリステンセンも『イノベーションの最終解』で繰り返し語るように、企業が市場に参入するかどうかは動機の問題である。市場が魅力的だと思うかどうかによって、そしてその市場で成功しそうかどうかの判断によって、参入が決まる。エンジニアとしての経験からも、会社の方針や戦略次第では他社の特許スレスレで回避するような努力をしたり、多少のロイヤリティを支払っても技術的にマネすることは日常的に行われている。特許は参入障壁を作るというよりも、参入にはコストが掛かるというメッセージを放ち、他社の動機をくじくのが究極の狙いである。
そもそも特許とは
そもそも特許とは、人類の科学技術の発展を願って生み出された概念である。新しい問題解決方法を発見・発明したら、他の人も利用した方が、社会全体としては効率がよい。ところが、苦労して発明した人のコストは複製するコストの何倍も何十倍も何百倍もかかっていることを考えれば、最初の発明者にはそれなりの権利が与えられるべきだという思想である。元来の意味からしても、特許はマネを促進する代わりに、最初に取り組んだ人を評価する仕組みなのである。
羹に懲りて膾を吹く
少し脱線したが、日本企業は長年のコピーキャット攻撃によって、相当のダメージを食らったことは確かである。しかし、なぜ製品をマネされただけで市場を奪われたのだろう?iPadの後、さまざまなタブレットが市場に登場したが、これらの類似品はアップルの競合なのであろうか?実際にアップル製品を買わずにアンドロイド系の製品を買った人たちに意見を聞くと良く分かるのだが、アップルを買おうと思ったけれど、競合品がそこそこ良いから気が変わったというような人は少ない。アップルは高くて手が出ないのだが、そこそこの値段の類似品が出来たから買ったという層の方が多い。つまり、アップルの市場を喰ったというよりは、アップルが対象にしていない市場をコピー品は開拓したと見做した方がよいだろう。今一度、競合だけではなく顧客を一人ひとり、特にまだ顧客になっていない見購買層を見ていってはどうだろう。この層の新たなジョブを解決しなければ、どんな特許も技術的な優位性も無駄になるからだ。