鳥人間コンテストは今年でなんと39回目の大会を向かえる。これほどの長寿番組になるには、運営する側にも参加する側にも共に何か世代を魅力があるに違いない。そしてその魅力は・・・大会会場に来てみないと味わえない非日常なのである。
「びっくり日本新記録」というタイトルでスタートした初期の大会をご存じの方は、欽ちゃん仮装大賞ばりのコミックエントリー部門の無謀なダイブに爆笑していた印象が強いかもしれないが、この部門は10回大会から姿を消し、その後はメーカーのベテランエンジニアによる企業常連チームを中心として結構ストイックに?!記録を競う本気の大会にシフトしていった。
そして自分達が初出場した1994年の18回大会も人力プロペラ機部門ができて9回目になり、トップチームによって毎年飛行距離が更新され・・・大会当初からの夢であった琵琶湖を横断が実現が期待されるなど、まさに番組的にも参加者的にもエキサイティングな時期であった。
初出場機体:Hornet lの図面
では初出場の堺・風車の会に話を戻すと・・・その後何度もテストフライトを重ねてはきたが、残念ながらこのエキサイティングな上位チームの争いにからめる可能性は全く期待できなさそうな状況で、大会10日前のミーティングを向かえていた。
中野さん(&おっちゃん達):「これは飛ばんぞ・・・」
中尾:「パワーは足らなさそうですが、
実績のある機体だからプラットフォームからちゃんと押し出せば
滑空ぐらいはできるんちゃいます?」
滑空ぐらいはできるんちゃいます?」
深田さん:「まぁ、うまくテイクオフができれば・・・(苦笑い)・・・がんばりましょう!」
津嶋:「・・・無言(フライトに対しては直感的に悲観的・・・
でも大会に行くのは楽しそう(笑))」
でも大会に行くのは楽しそう(笑))」
人力飛行機の師匠の深田さんは機体づくりやテストフライトでは厳しい中でもいつも前向きだった。
どちらにしてもメンバーみんな大会は楽しみにしていたのは間違いない。鳥コンは全国ネットのテレビ番組でもあり、それを生で見れるというだけでワクワクしないわけはない。
その後恒例になるが、大会には場所取りとしての先発隊(実質は先行現地入りのくつろぎ部隊?!)と最後までトラックに荷造りをする後発隊の二手に分かれて大会会場に向かった。
テレビでしか見たことのないプラットフォームは想像以上に高く大きい・・・それは生で見るだけでも興奮するものである。
もう時効だから問題ないと思うが、当時はプラットフォームには警備員もおらず、大会の前後の夜にコッソリ進入してダイブ可能であった(笑)まぁ暗闇の中での10mのプラットフォームから見下ろす琵琶湖の様子は、高所恐怖症でなくても足がすくむ怖さがあったが・・・馬鹿な学生連中がやることは全国津々浦々どこも同じである。
大会前日は、審査員による機体の最終チェックが行われることがあり、大会会場の浜辺に一面に全国からの手作り飛行機が集まる祭典になる。多くのチームは現地最後の仕上げをしており、現在のように気軽に情報交換や交流ができない当時は、他チーム機体を偵察?!したり、チーム同士にとっては貴重な交流の場であった。そういう意味でも前日の夜には、各チームの有志が集まっての交流会なども開催されたりしていた。
「この中に自分も加わるのかぁ」 そう思うとやっぱりテンションが上がる。 自分たちの駐機エリア設営が完了すると、さっそく他の機体を見回りにいくことに。 他のチームの機体を見るのは本当に面白かった。
垂直尾翼の調整中の中尾、津嶋と栗野さん
実際に自分も作ったからこそわかると思うのだが 、
「あ、ここはこうやって作ってるんだ」
「これは次の機体には使えるかも」
というところがたくさんあってメチャクチャ勉強になった。と同時に
「これ、まだ全然できてないけどホントの飛ぶの?」
という機体もチラホラ。
「こういうチームがボシャン(いわゆる真っ逆さまな墜落)となるところだな」
なんて上から目線(笑)で思ったりしていた。やはり優勝候補やパッと見て機体がきれいにできているチームは、辺で作業していない。 飛ぶところは事前に準備ができているということだろう。
今思うと機体を見れるのは今日しかない・・・という思いで集中して他のチームを観察していたからこそ、実は人力飛行機について一年で最もインスピレーションをもらう時間でもあった。
前日夕方はチームでの前夜祭で盛り上がった後、当時は参加者を招いての開会式が開催されていた。大会を彩る芸能人のパフォーマンスや過去のハイライト映像などが披露され、参加者にとっては気持ちをもり立てる非常に貴重なイベントになっていた。残念ながらこのところ10年はこの開会式は中止になってしまったのは非常に残念である。
前夜祭の様子(左端に切れてるのが津嶋)
そしてついに僕らとって初めての鳥人間コンテストは大会当日を向かえることとなる。
ちなみに学生は宿なしの浜辺でのブルーシートやテントでの野宿・・・先発隊は最低三泊四日、長くて四泊五日の間、琵琶湖の湖岸で過ごすこととなる。当時は非常に楽しかった思い出しかないが、おじさんになった今は全くそそられない(笑)
そして大会当日。 鳥人間の朝は早い。 まだ薄暗い4時ごろには起き出して準備を始める。 機体の組み立て、最終チェックに直前ミーティングとやることは盛りだくさん。 テキパキと作業を進めていく。
最終調整中の津嶋と中尾
そして何より大会への出場が如何に多くの方々の支えの上で成り立っているかを目の当たりにする・・・そう大会当日は1年の応援してくれた協力者の方々集結する唯一の日であもある。機体を組み立てる真剣で緊迫した空気と協力者の方々の期待が混じり合う・・・その雰囲気は当事者としてしか感じることができない1年の集大成が凝縮された最大のお祭りである。
その協力者の方々への最大の気配りとチーム運営を同時にこなすおっちゃんの姿は、さすがとしか言いようがなかった。
メンバーと協力者の方々全員集合で記念撮影の準備
鳥人間というと青空の下で機体が飛ぶというイメージが強かったが、この日は天気が悪かった。 なんと小雨がぱらつくコンディション。 雨が降ると翼の表面に水滴がつくが、実はこれが翼の空力性能を極端に悪くしてしまう。 僅かなパワーで飛行する人力飛行機の場合、致命的なパワーロスにもなりかねない。
雨が降っているあいだは翼の下で雨宿りして、止んだらウェス(いわゆる雑巾布?!)で翼を拭くという作業をくり返す。20m以上ある翼を全部拭くのは大変だがここは手を抜くわけにはいかない。
プラットフォームに登ると場所の関係で翼を拭けなくなってしまうが、幸いにも我々のチームがプラットフォーム登るときには雨は上がっていた。
そうこうしている間にウチのチームがプラットフォームに上がる順番がきた。 いよいよ初プラットフォーム。 プラットフォームに続く桟橋を渡っているといやが上にもテンションは上がってくる。
「うわ、高い!」 プラットフォームに到着するとまず最初にそう思った。下から見るとそれほどでもないが、上に登るとその高さに驚く。
だが、 「ここから飛ぶのかぁ」 と感慨にふける暇はなくフライトの準備。やることは沢山ある。 が、インタビューを受けているパイロットの背後をわざわざ通ってテレビに映ろうとする余裕はあった(笑)
プラットフォーム上での中尾の役割はテストフライトと同じく機体を押すこと。 飛び立つ機体を真後ろから見ることができるので特等席だ。 津嶋の役目は左翼の支持。左右のバランスもテイクオフには非常に重要になる。全ての準備が整いパイロットが機体に乗り込む。
あとは審判長の赤旗が白旗に変わるのを待つのみ。 当時の風のコンディションは少し背風(追い風)で離陸には非常に不利な条件だったと思う。 この条件ではプラットフォームから出た直後は揚力が足らず機体は急降下してしまう。 そのためすぐに機種を上げるように操縦する必要があるのだが、 ・機首を上げすぎると失速して墜落 ・機首上げが不十分だったりタイミングが遅いとそのまま湖面に刺さる ということで非常にシビアな操縦を要求される。
だから離陸に失敗しているチームも多かった。 そして、もちろん我がチームのパイロットはそんな訓練は全くしていない(苦笑) そう、うまく離陸できたとしたらそれは奇跡ともいえるようなコンディションだった。
果たして奇跡は起こるのか?
いよいよ審判長の旗が白旗に変わる。 パイロットがカウントダウンを開始。プロペラの回転数も上がっていく。
「さん、に、いち、スタート!」
緩やかな傾斜のついた滑走路を機体が進み出す。滑走路は短いのでせいぜい5,6歩ぐらいしか押せないがその数歩に全力をかける。
機体がプラットフォームから飛びだすと、高度が一気に下がっていく。 このままだとヤバイ。
そこで間髪入れず深田さんが 「アップ!!」 と大声で叫ぶ。 それが聞こえたのかパイロットが機首上げの操舵をする。 そうすると機首が上がる、いや上がり過ぎだ! 右翼が失速して機体が急激に右に傾く。
そして右翼の先端が湖面に接触、というよりも湖面に刺さったような状態になり急旋回して墜落。 その間、僅か数秒。 体感的にはもっと長く感じられたが、実際は「あ〜〜」 と叫んでいる間に終わってしまった。
パイロットは無事のようだったが、プラットフォーム上からバラバラになった機体を見るのは何とも言えない気持ちだった。
ただいまの堺・風車の会の記録は・・・”51.26m”
うなだれている自分達に追い打ちを掛けるような、アナウンスが流れる・・・。
(余談だが、この小数点以下の数字まで読み上げる響きが実は記録アナウンスを非常に味わい深くしている・・・)
一応計測不能にはならなかったが飛んだとは言えない。 まさかのボシャンだった。
意気消沈してトボトボとプラットフォームから降りていくとさらに悔しさがこみ上げてくる。
中尾:「自分が乗ってればもうちょっと何とかできたんじゃないか?」
「来年は笑顔でプラットフォームを降りていきたい」
津嶋:「やっぱり奇跡なんてなかった・・・これはある意味分かっていたこと。」
「単なるテレビ番組であっても、勝負は勝たないと面白くもなんともない
・・・やるなら勝ちたい」
おっちゃん達も「まぁしゃあないな・・・」という表情ではあったが、
この時ばかりは心なしか沈んでいるように思えた。
ただ、
僕らの心の中にはこの時本気スイッチが入っていた・・・
片付けを終え家路についたころにはもう来年の機体を考えていた
そんな思いを募らせながら、初めての鳥人間コンテストは終わっていった。
そうして僕らの青春のスタートとなる大阪府立大学WindMill Clubの設立と本当の意味でのチャレンジがスタートすることとなる。
ようやく次回から本編スタートです(笑)・・・乞うご期待