日常生活において、そして特にビジネスシーンにおいてはごく一般的なこの問いに対して”自分の言葉で”かつ”主観的”な回答ができる大人が少なくなってしまった。このことが現在の日本における閉塞感の根源だと言っても言い過ぎではない。というのが今回のテーマになる。
ではビジネスシーンにおけるこの問いに対するよくある回答例は、
・我が社の過去の成功事例から考えますと選択肢は二つあります。
今回の場合は、Aが良いのではないでしょうか。
・最近の市場データと競合の動向から判断しますと、Aが妥当だと思われます。
・最近のトレンドや口コミデータからは、Aが良いのではないでしょうか。
これらは客観的データに基づく分析的な回答と言ってしまえば知的にも聞こえるが、見方を変えると本人の考えが不明確な極めて主体性のない回答だとも言える。
さらには、
・その領域の第一人者のB氏によりますとAが正しいと考えられます。
と直接知らない他人を引き合いに出してしまうとなると、もはや重症だと私は感じてしまうが、意外にこうした回答が企業のマネジメント層にはうけが良かったりする現実がそもそもの問題の根源になっている。つまり、閉塞感の裏には質問者(マネージャ)も回答者(メンバー)も合わせて、そもそも当事者ではない。企業の多くの戦略と言われる実体の多くもいわゆることわざで言う、
になってしまっている。精神論ではないが、魂の込められていない行動が成功するほど現状の課題は簡単ではない。
こうした状況は、みなさまにも心当たりがあるのではないだろうか。
極端な言い方をすると、我々は本人が意識しているしていないに関わらず、いつのまにか”正解探し”の思考プロセスを身につけ、それは客観的な分析によってのみ導かれると信じ込んでいる。そしてその分析結果があたかも自分の考えであるかのように自分自身を暗示にかけてしまうことに慣れてしまった(これらについては”MBAが会社を滅ぼす マネージャーの正しい育て方:ヘンリー・ミンツバーグ”なども参考にしてもらいたい)。
私が出会ってきたイノベーター(もしくはビジョナリー)は(本田宗一郎氏やスティーブジョブズ氏のようなカリスマ的な存在ではなくてても、様々な分野において自ら開拓し実績を残している方々)例外なく、直感的な好き嫌いという自分自身の感性、そして自分自身が五感で感じてきた経験を非常に大切にしている。さらには、他人の言葉や方法論の受け売りでなく、自分の言葉で世界を表現する人たちである。
これは決して分析的なアプローチを否定している訳ではない。データから見えるモノはあくまで自分自身の仮説検証の手段として位置づけており、判断の主軸は自分自身の中にあるという表現の方がニュアンスとしては正しい。
日本は失われた20年と言われている一方、国民の生活は欧米先進国に比べても何一つ劣っている点はなく、むしろ非常に豊かではなかろうか。不景気と言われ続け可処分所得が減っているという実感あるかもしれないが、生活インフラは世界No.1と言っても過言でない環境が整い、内需産業のデフレが続く中で10年前には想像できなかったような高品質な製品・サービスを非常に低価格で入手できるようになっている。
実感とは異なり都市部だけでなく地方を巡っても、10年前より生活水準が下がっている実情を目にするのはまれである。つまり、近年の不景気感はむしろ我々一人一人の心の中にあるだけである。
話を元に戻すと、”自分の言葉で”かつ”主観的”な回答ができる大人が少なくなったのも、我々は本人の意図なく、そして外部環境的としても明確な原因なく”自信”を失ってしまっているだけだというのが私の持論である。そして、イノベーターとそうでない人の差は、この”自信”の差にしかすぎない。つまり、日本におけるイノベーターは失われた20年を過ごしながらも自信を失っていない人たちのことである(自分もその一人であると思っているのだが)。
しかし、ご想像の通り一度失ってしまったこの”自信”を取り戻す事は決して容易ではない。次回は個人としてそして組織としてこの現状とどう向き合うかを考えてみたいと思う。