ワクチン接種率からみるイノベーター理論

Written by 津田 真吾 on 2021-09-27

「イノベーター理論」と「キャズム」

新型コロナのワクチン接種のグラフを先日眺めていたら、きれいなS字を描いていることに気づきました。

新しい解決策が世の中に受け入れられ、普及するのには時間がかかります。一部の新しいもの好きはすぐに採用しますし、もっと遅い人もいます。ロジャースという社会科学者の研究によって、この採用スピードは正規分布し、採用率をプロットするときれいなS字を描くことがわかりました。例えば、日本におけるテレビの普及曲線はこのようになっています。

wikipedia commons https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Television_penetration_rate_in_Japan_from_1957_to_2015.svg

その後ジェフリー・ムーアはハイテク商品を世の中にローンチしても、売上が伸び悩むことが多いことに気づきました。市場浸透率16%あたりになると、まるで、深い谷=キャズムがあるかのような現象が頻繁に起きたのです。その「キャズム」を超えるためには、アーリーアダプターたちから学びながら、製品の価値を見直したマーケティング活動が必要だという理解は、ハイテクやスタートアップ業界にいる方は一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

ワクチンも解決策の普及曲線に乗る

COVIDのワクチンも同様に普及するのではないかと考え、キャズムは存在するのかどうかなどを確認したくなり、https://ourworldindata.org を調べてみることにしました。そうして接種率のカーブを見ると、きれいなS字カーブを描いているように見えます。積極的に受けた人もいれば、周囲の様子を見ながら接種した人もいますし、まだもう少し様子見を決めている人もいるとすれば納得です。例えばヨーロッパ各国の接種率のカーブは図のようにS字曲線を描き、累積正規分布曲線の形になっています。啓蒙やインセンティブの強弱は国ごとにあるかもしれませんが、国家権力が各自に無理やり注射してまわれるわけではないので、国民が接種を「採用」していると(マクロでは)見なすことができそうです。

https://ourworldindata.org/ より

このグラフから、欧州では子どもやアレルギーなどによって摂取できない人もいることを考えれば、約1年くらいかけて接種が進むのではないかという予想がつきます。

日本を含む他の国はどうかと見てみます。早い対応で有名なイスラエルは打ちたい人には行きわたり、60%で頭打ち、アメリカももうすぐ約6割で頭打ちしそうな勢いですね。シンガポールは接種完了率が8割を超えたと発表していますが、6月ごろ踊り場があったようなグラフになっています。これはワクチン確保数に目途が立ち、対象年齢を下げたためだと思われます。世界各国の接種状況についてはニューヨークタイムズもまとめていて、きれいなS字曲線がたくさんあることが分かります。

我が日本については、開始タイミングが遅いものの、その後は順調に立ち上がっている様子が見て取れます。「世界最速」という評価のようですが、これはワクチンの供給能力はもちろんのこと、個人の接種に出向くスピードの両方にも依存します。

https://ourworldindata.org/ より

さて、ここで一つ疑問が持ちました。日本はTechnology Adoption、つまり採用速度が遅いのではないか?と考えていたからです。十分なワクチン供給量があったとしても、接種には消極的な人が多く、まわりの様子を伺いながら徐々に接種が進むのではないかと予想していたのです。

国にもイノベーターやアーリーアダプターがあるのでは?

そこで、国民がワクチンを採用するスピード同様に、国家自体がワクチンを配るスピードにもイノベーター理論が適用できるのではないかと考えたグラフがこちらです。

http://ourworldindata.orgのデータから著者作成

国民の5%が完全接種(ファイザー・モデルナの場合は2回接種、J&Jなどは1回接種を指す)を達成した日にちをプロットすると、概ねS字カーブになります。つまり、国の大小はありますが、国家として「ワクチンを配る」という決定を行い、予算を確保したり、国内で必要な法整備をしたり、ロジスティクスを検討したりなどの準備スピードは、まさに普及曲線同様になるということです。25%や50%の曲線も示しましたが、割合が高まるにつれて人口、ワクチン量の確保、国民への啓蒙やインセンティブの提供などロジスティクス自体の影響が大きくなると思われますが、ほぼ右にシフトしたような曲線となっています。

5%の接種率においても25%においてもイスラエルが最速で、50%接種率ではジブラルタルにわずかに先を越されています。日本は5%接種率では67位、25%では49位、50%接種率では41位という順位になり、レイトマジョリティということになります。この「レイトマジョリティ」というのは私たちの(特に最近の)国民性として肌感覚に合っているのではないかと思いました。

http://ourworldindata.orgのデータから著者作成

現在38か国が加盟しているOECDの中で比べると、ワクチン接種着手を示すと思われる5%接種率では36位、25%では30位、50%においても少し挽回して25位という順位になっています。すなわち、先進国の中ではラガードとも言える属性となります。

だから何なのか?

もともと私は日本と他国で比較するとTechnology Adoption、つまり採用速度が遅いのではないか?という仮説を検証しようと思ってデータを見始めました。断っておくと、ワクチンに限って言えば、私は決して日本は遅くてダメだと言いたいわけではありません。まずこれらのデータが示唆する2つの特徴について述べておきましょう。

1つ目は、ワクチンを国民に配り始めたタイミングが他国と比較して非常に遅いということです。理由はたくさんあると思います。「確実に効果を確認したい」「リスクを知ってから判断したい」「きちんと国民に配れることを検証したい」「十分なワクチンを低価格で入手したい」「(ラガードである)一部の人たちへの配慮」…。これらの理由は、最近までガラケーを使い続ける理由とさほど変わりません。良し悪しではなく、国としてリスクを最小化したいのだと思います。

2つ目は、国としてワクチン配布を開始してからは、他国と遜色ないどころか早いスピードで普及したことです。すなわち、国民一人一人はさほどリスクを避けたいという性質を持っていないのではないかということです。需要サイドだけでなく、提供側のロジスティクスの優秀さや、オペレーショナルなスピード感も高いと言えますが、私たちはさほど国から強制されていないワクチンを、「メリットがありそう」だという理由で、受けるという選択を次々としているのです。

これらの2つのポイントから、日本国の意思決定はとても遅いが、国民はのんびりしているわけではなくむしろ早い方だ、と言えます。私はワクチン学者ではありませんが、イノベーションに関わってきた身として、イノベーションの競争に勝つには前者のポイントを殺しながら後者の強みを生かさないといけないと強く感じました。

さて、ワクチンだからまだ良いが…

今回は新たに開発されたようなmRNAワクチンということもあり、国民の安全を慎重に検討したとすれば、人命にかかわるだけに遅いこと自体は悪いことではないと思います。

しかしCOVIDのワクチン接種率だから良いものの、これが例えばAIやドローンの産業活用だとしたらどうでしょうか?新薬の開発だとしたら?産業を大きく変える可能性のある技術に関してはスピードが命です。新しい技術を目の前にしたときに、ついネガティブでリスクを取り上げる議論ばかりになってしまっていないでしょうか?

ワクチンに関しては、メディアがリスクばかりを報道するという批判があります。また、官僚組織による議論もスピードを下げる要因の一つでしょう。しかし、そればかりだとも思えません。実は、クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』にも書かれている合理性の罠も関係があるのではないかと考えられます。その罠とは「存在しない市場は分析できない」というものです。これが意味するところは、新しい技術によってもたらされる新市場の規模は不確実性が高い一方で、投資によって失うものは確実なので、比較分析をすると「確実に損をする」と結論してしまうことを指します。今回のワクチンで言うと、人命を失う損失は具体的に予想ができる反面、接種による経済的なメリットなどについては「やってみないと分からない」「怪しいそろばん勘定」になってしまうことと同じです。さらに行動経済学における「損失回避のバイアス」もあり、とかく私たちはロスを最小化したくなる傾向があることも忘れてはいけません。このバイアスは日本人に限らず、誰もが持っている心理的なバイアスです。合理的な検討や議論が仮に行われていたとしても前例主義的になってしまう傾向があるのです。

イノベーションの競争に勝つには、この傾向は致命傷となりえます。有限・確実のデメリット無限・不確実なメリットを比較するときはイノベーションのジレンマとも言える議論の罠を避け、デメリットの最小化とメリットの確実化に向けた行動を取るべきなんだろうと、きっとクリステンセンさんも同意してくれると思います。