この言葉は今や街を歩く大学生に聞いても変わらないぐらい浸透している。一方、このビジョンの本当の力を実感したことがある人がどれくらいいるだろうか?例えばビジョンを描いていたら数年後にそのとおりにいつの間にかなっていたとか、それがあったからこそ苦難を乗り越えられたなどの成功体験である。
私の経験としては、頭で理解している人の10人に1人ぐらいの割合しかいないにではないかと思っている。必要だと思っているため描いている・・・ないよりは良いと思うけど・・・という反応が殆ど。これは非常に残念な状況である。
・細かい指示なくしてチームメンバーが阿吽の呼吸で動き始める
まず前者ができなければ後者は起こりえない。新しい未来とは、いろいろな形で現れる。例えば今まで縁のなかった人との”出会い”や自分を表現する”機会”、逆にそれに伴う”分かれ”や”撤退”もある。これらどれもがビジョン実現にとって必要な事象である。もしあなたがこの新しい未来の出現を感じた事がなかったとしたらそれは、自分自身が受け入れるために必要な解像度でビジョンが描けていないからである。
後者はさらに難しい。それは自分の頭の中の想像を全くの他人に伝えなければならないと考えると、ビジョンを言葉に落としただけでは全然不十分であることが分かっていただけるのではないだろうか。文字や言葉で伝えられることはたかが知れている。その文脈をも伝えきることができなければ十分とは言えないのである。
自分の中では最近、
と言っても過言ではないと思っている。これさえできればチームは必ず動き始める。最強チームの要件を一言で言うとこれだけである。
なんていうと論理的ではないとか科学的でないという突っ込みが入ってきそうである。またはビジョンが共有できていなくても機能している組織が存在するという反論が出てくるはずである。それはその通りである。それはビジョンの効果を裏返してみるとはっきりする。
・当初不可能と思われるような新しい未来が現れる必要がないならばビジョンはいらない
・細かい指示なくしてチームメンバーが阿吽の呼吸で動き始める必要がないならばビジョンはいらない
つまり、論理的に計画可能でマイクロマネージメントを行う組織においては実はビジョンがなくても、人を動かし結果を出し続けることはできる。それに対して人がどう感じようとお構いなしであれば・・・という条件の上での話ではあるが。しかし、これこそが定量目標による効率化を追求する大量生産型組織の典型的なスタイルであり、このスタイルにあまり違和感を感じないのは、20世紀型の左脳系大量生産教育を受けてきた我々が求められる要件であるからである。
そう考えると”ビジョン”というコンセプトは、そもそも20世紀型企業組織にはあまりそぐわないものなのである。これが本当の意味でビジョンの効果を多くの人が実感できない理由ではないかと考えている。そのためビジョンの可能性を知っているのは、一部のトップアスリートや課外活動やベンチャー起業家や創業者など組織の論理の影響をあまり受けてこなかったという事実にも納得できるのではないだろうか。
もし真のビジョンの力を借り、チームを動かしていくためにはどうすればいいか?もしあなたが20世紀型組織の枠にはまっているならば、普段当たり前と考えている日々の行動から少しずつでも変えていくしか方法はない。
自分自身のビジョンの解像度を上げていくための3つのポイントは、
・毎日想像(イメージ)する、問いかける(瞑想や散歩の意味もここにある)
・直観に従い日々行動する(人に会う・会わない、場所に行く・行かない)
チームメンバーとビジョンを共有するための3つのポイントは、
・できるだけ言葉にする、絵にする、動画(映像+音)にする
マスターやメンターの必要性が見直されているのはそういうところにあるが、本当にマスターやメンターとして他人を導ける人はそんなに多くはない。人がいないのならば古典に学ぶ。今ほど温故知新という言葉が必要とされている時代はないと確信している。