「わかる」とはどういうことか?の画像

「コロナで満員電車のつらさ忘れてたよね?」 ・・・「わかる!」

「トランプが大統領に、兵庫県知事に斉藤元彦が再当選したのは、同じような現象ですよね?」 ・・・「わかる!」

最近気に入っている曲を友人に紹介したら・・・「わからない」

新しいアイデアを思いついたので上司に伝えたら・・・「わからない。わかるように説明して。」

「わからない」と言われると、まるで否定しているかのような暴力的な響きも感じられるかもしれない。そういう暴力や「気まずさ」を避けるがあまり、相手が確実にわかることのみの、そつないコミュニケーションや、ノリを中心とした相槌ばかりが行き交う環境も存在するという。元々「わかっている」ことだけを伝えあっているわけなので、コミュニケーションとして成立しているのか疑問に思えてくる。強いて言えば、「わかり合っていることを確認している」ことがコミュニケーションの意義へと転じてしまっている状態なのかもしれない。

さらに、本当に不思議なのは、はるか昔から人は「わかる」と実に嬉しい。こんな文章を読まなくても「わかる」ことはどんな感覚なのか明白である。「わかる」にはリアルな実感があり、「ユリーカ」や「エウレカ」、もしくは「アハ!」と叫びたくなるほどの顕著なものだ。さらに、話している相手が話を「わかっているか?」も、その反応から「わかる」のも非常に不思議だ。

それでいて、相手を「わからせる」ことは極めて難しい。前述したように「わかっていない」というのは批判とも受け取れるし、わかっていないというのは、何がどうわかっていないかも、正直わからない。わかっていないことをわかっていないことを「バカの壁」と呼んだのは養老孟司氏だっただろうか。わかっていないことを「わかる」、「無知の知」とは極めて高度な知性であることを踏まえた上で「わからせる」ために選んだ言葉なのだろうか。

こんな「わかる」かどうかをここまで面倒くさく続けている時点で、わかりにくくなりそうなので本題に移ろう。

「わかる」の第一モード

先日MENOUを創業した頃の営業資料が先日出てきた。その資料には「ディープラーニングとは何か?」に恐ろしいほど多くの図表と文字を割いて説明していた。もちろん、今の資料にはそのような説明も無いし、「AI」という言葉だけで、相手は「わかって」くれる。

思い返せば、インターネットを使い始めた20数年前、Eメールを使っていると、その仕組みやインターネットとは何かをよく聞かれたし、いくら説明しても伝わらなかった。今では説明不要である。デジタルネイティブという言葉があるように、まるで生まれつき「わかっている」かのような人々もいる。彼らは、必死にTCP/IPの通信プロトコルから勉強した人たちよりも、はるかに使いこなしているようでもある。

しかし、彼らデジタルネイティブは、インターネットが「何なのか?」の説明はできない。

つまり、「わかる」の第一モードは「慣れる」ことである。このモードにおいて、対義語は「新しい」ということになる。

MENOUの例であれば、AIで検査をすることを検討している方々にとって、AIを用いた検査は日々聞いていて、当たり前の概念となっている。

ChatGPTも何度か使用すれば、慣れて「わかった」気になる。だが、ChatGPTを構成する非常に重要な技術であるLLMやトランスフォーマーといったことについては、わかっていないままだ。

「わかる」の第二モード

ChatGPTが「わかった」ように感じるもう一つの理由は、プロンプトと呼ばれる指示文がどのように結果に影響を及ぼすのかが予測できるからである。仕組みはさておき、何を入れたら何が出てくるか?という因果の予測ができることを「わかった」と私たちは感じる。共感したときに「わかる~」と言うのは、同じものを見て同じ感情を持つことが確認できるからではないだろうか。

中身はブラックボックスでも構わない。入力に対して出力の予測ができると、安心してその道具は使えるようになる。逆に、出力の予測ができない道具は「怖くて使えない」ということである。他人についても、突飛で予測不能な人は「わからない」から「怖い」と避けられてしまう。一般的な組織では、こうした予測不能な行動を取る人は「わからない」として嫌われ、無能でも予測可能な人よりも評価が低くなりがちだ。

人は、共感できないときも「わからない」と言う。同じ経験に対して異なる反応が怖いのだ。絶品の寿司を食べて「マズい」と発言したりすると、まるで宇宙人を見るかのように目を白黒する人もいる。だから、相手に「わからない」と言われると批判されたように感じてしまうのだ。

「わかる」の第二モードは「働きを予測できる」ことで、対義語は「怖い」「共感できない」ということになる。

小学生に初めて算数を教えるとき、足し算の「意味」を教えてもピンとこないが、答えの出し方を教え、自ら足し算ができるようになると「わかった!」という顔をする。わかるプロセスはむしろ反復練習であり、案外知的なものというよりも機械的で身体的なものなのがこのモードである。

インターネットやブロックチェーンを使いこなしている人は、その仕組みをすべて知っているわけではないけれど、自分に役立つ働きについては熟知しているのだ。

「わかる」の第三のモード

私たちが何かを真に「わかりたい」と思うときは、上記の2つでは満足できない。プログラミングに興味を持ち始めたころならサンプルコードを「写経」し、予想通りの動きをしたら大満足なのだが、そこで興味が尽きないこともある。なぜ、そのように書かないとダメなのか?他の言語との違いは何か?英語のようなコードをなぜコンピューターは実行できるのか?ハードウェアによって実行できなかったりするのはなぜなのか?等々である。

私もオタクなので、こうした好奇心は尽きない。「わかった」と思っても、たちまち次の壁に当たり、すぐに「わかってなかった」という結論になる。つまり、いつまで経っても「わかった」とはならないし、もっとわかっている人は無数に存在している事実に愕然とするのだ。

ここの段階で得られる小さな「わかった」には、いくつかの種類がある。一つは歴史である。知りたい対象に関する歴史には、その存在を今の状態にたらしめた多くの理由がある。いわば存在意義である。AIのエキスパートは、どのようにして現在のネットワークへと進化したのか歴史を知っている。それが、直接プログラミングに役立つかどうかはさておいて「わかっている」。

もう一つは「システム」である。例えばインターネットをシステムとして理解するには、通信手段であるTCP/IPのほか、アドレスを解読したり、通信経路にあるルーターなどの仕組みを知らなければならなくなる。わかりたいことの入力と出力だけでなく、もっと大きなシステム内でどのような働きなのかを把握しないと「わかった」とはなりにくい。

システムが見えると、わかっていたはずの「入力」と「出力」が危うくなる。例えば、私たちは小学生頃に「支出を減らせばお金は貯まる」というお金の仕組みについて「わかった」気になる。そして投資をしている人の方がお金が増えていることに最初は納得できないかもしれない。しかも極端に投資額を増やしても、必ずしも殖やせないことに直面すると「わからない」と諦める可能性もある。それまで単純な入力と出力の関係だと思っていたものが、トレードオフになっていたり、相互作用になっていたりする。ここまでくると、わかろうとすればするほど、「わからない」ことが増えていくのだ。

iPS細胞を発見した山中教授が「玉ねぎの皮を剥く」と表現した研究の道は、このモードでの「わかる」を繰り返していると言えるだろう。

「わかってもらう」には

研究者が起業する際、仲間を増やしたりお金を集めたりするためにやってしまうのが第三のモードで伝えることである。相手も、自分と同じように「わかりたい」のではないかと勝手に期待してしまったり、思い込むのはやむを得ない。なぜなら、そこまで熱中できた研究なのだから。たくさんの「わかった」を共有したくなるのも無理はない。しかし、津嶋辰郎の名言「ピッチとは異種格闘技戦」が言い射ているように、相手は研究者ではないし、投資という違う目的で技術を見ている。

したがって、第一のモードと第二のモードを超えて「わかる」ことは残念ながらできない。いくら説明しても「わからない」となるのだ。「わからない」と言われて、凹む。

わかってもらうためには、第一のモード、第二のモードを意識すると良いはずだ。つまり、馴染ませるというステップを経て、役割を感じてもらうことである。

馴染ませるための近道は、すでに馴染んでいるものに近づけることだ。コンピューターはタイプライターのキーボードを流用し、ウィンドウズは「デスクトップ」や「窓」という名前を付けて身近に感じさせる工夫をした。AIも、人間同士でもっとも多用されている「チャット」というインタフェースを真似たことで一気に流行った。

馴染んだあとは、その予測性を伝えることである。予測性とはなにか?

ここでいう予測性は、「どんなときに」「どんな使い方をすると」「どんな結果が得られるか」で分解するのがよいのではないかと考えている。そう、ジョブ理論でも語られている「顧客の状況」「ジョブ」「ジョブが解決されて提供される価値」の三点セットである。

脳科学と「わかった」

と、「わかった」つもりでここまで書いてきたのだが、最近さらにわかったことがある。それは、脳科学において「自由エネルギー原理」という、イギリスの神経科学者フリストンが提唱している考え方だ。この原理を一言で言うと、「脳は乱雑な情報を嫌う」というものである。もっと砕いて言えば「モヤモヤは敵」である。

自由エネルギーが下がる瞬間というのは、化学反応なので熱が放出され、気持ちいい実感がある。これが「エウレカ!」の正体だ。

つまり、脳は「わかった!」という状態を常に求めているのだ。自由エネルギー原理によれば、私たちの脳は常に情報の整理整頓を試みており、その過程で生じる「わかった」という感覚は、脳が乱雑さを減少させることに成功した証なのである。これは日常生活でも経験する現象で、例えば謎解きパズルを解いたときの爽快感も、実はこの原理で説明できる。

馴染む前の新しい概念は、整った部屋の「ゴミ」のように気持ち悪い状態から始まる。しかし部屋のゴミも毎日見ていると、置き場が決まり、馴染む。部屋の片づけをしていて、分類不能なものが出てくるとモヤモヤするが、「分類不能」という箱を作ると、たちまちスッキリして色々なものを入れたくなる気持ちになったことはないだろうか?人間の脳もどうやらそういう仕組みになっているという説には、何度も膝を打ちたくなる。

見慣れない新しいもののモヤモヤは、見慣れればモヤモヤがなくなる(第一のモード)。役割のわからないモヤモヤは、役割がわかればスッキリする(第二のモード)。そして「自分にとって役に立たない」と結論づけることができれば「棄てる(忘れる)」ことでもう一度スッキリするかもしれないし、役に立てばもっとスッキリすることになる。

第三のモードについても、「わかる」たびに対象物の関与する「システム」が肥大化したとしても、繋がることでスッキリする。繋がれば繋がるほどに、異質なものが繋がることになるので一見乱雑になるのだが、情報の断片は繋がり「スッキリ」するのではないか。

少し脱線するが、「机が整理されている人は仕事ができる」という言説があると同時に「天才の机は散らかっているようだが本人はどこに何があるのかわかっている」という話もある。これは、きっと、天才と言われている人にとって、異質なものをつなげるためには机という2次元表面はもとより、書斎という3次元空間も足りないのではないだろうか。

イノベーションと自由エネルギー

新しいアイデアは、必ず最初はモヤモヤする概念である。新しいからゆえ、慣れ親しんでいないし、使い方もまだ知らない。新しい技術は耳慣れない。「わからない」と切り捨てるのがもっともスッキリする簡単な方法である。

この方法が危険なのは、課題について鈍感になることである。「日本は少子高齢化している」「弊社では新しいことに取り組めない」「出る杭は打たれる」「日本からイノベーションは生まれない」といった問題は、人間が生み出しているにかかわらず、長い間存在し続けているために慣れて、「わかった気に」なってしまう。問題を声高に叫ぶ声は目立つし、エコーチャンバー化した大量の情報に触れると、どんなに重要な問題も自由エネルギーが低下してしまい、モヤモヤがなくなる。きっとこの状態を「バカ」だと養老氏は警鐘を鳴らしていたに違いない。

どうやったら少子高齢化に歯止めをかけるのか?どうやったら日本からイノベーションを生むのか?自由エネルギーはむしろ高い状態にしておかないといけないのではないだろうか。気持ちをどう持とうと、世の中は複雑で曖昧なことなのだから。

(おまけ)中学生の自分に「わかって」ほしかったこと

中学生や高校生のときは、どうやら人にわかってほしいというホルモンが大量に出るらしい。それまで何も不満を持っていなかった親や兄弟に「わかってほしい」。友達に「わかってほしい」。

だが、人間というのは複雑なものである。自分ですら自分のことを「わかって」はいない。

第二次性徴期を迎えるときには、慣れていた(第一のモード)自分が変わり、同じようなものを楽しめず、全く違うものに異様な興味を持ってしまうという変化(第二のモード)を体験する。自分のことが本当にわからなくなるのだ。

そんなとき、他人にわかってもらうことは無理である。だが、身近な存在になることならできるかもしれない。

 


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