今回のお話に登場するもう一人がパイロットだった中尾。
生い立ちをすこし書いておくと、生まれは大阪市内、町工場の4人兄弟の末っ子に産まれる。末っ子だったためか、勉強や進路について親からあれこれと言われることはほとんどなく、自由気ままに過ごさせてもらった。
生の時は体育が全くできず、自転車には小学3年生まで乗れなかったし逆上がりもダメ、腕相撲でも女子に負けるぐらい。 読書と図工が大好きな典型的なインドア派の小学生だった。
幸いにも小学校の担任は図工に力を入れている先生ばかりで特に絵はいろいろと指導していただき、市長賞をとったり小学校の創立100周年記念誌の表紙を書いたりと、図工好きとしては楽しい経験を積ませてもらえた。このあたりの経験が創造性をはぐくんでくれたんじゃないかと思う。
中・高になると何故か運動に目覚め、図工からは遠ざかり陸上部や水泳部という体育会クラブでの活動にどっぷり漬かった生活に。特に水泳部は厳しかったがメンタル的にも肉体的にも鍛えられた。これが後のパイロットにも生かされているのだろう。
とはいえ、当時は鳥人間コンテストのことなど全く頭になく、乗り物や機械全般は大好きだったが何が何でも飛行機というほどの飛行機好きでもなかった。
だから大学も機械系ならどこでもよかったが、たまたま大阪府立大学の航空宇宙工学科が推薦入試をしていたのを発見。「年内に決まったらラッキー」という乗りで受験したら合格してしまった。
こんな感じだから合格時点では鳥人間コンテストどころか「飛行機飛ばしたい」なんてことも全く頭になかった。
そんな僕に鳥人間コンテストを思い出させてくれたのは同じ水泳部の友人の一言だった。 確か卒業式のあとに喫茶店でみんなで喋っていたときのこと。
「中尾、航空宇宙工学科に行くんやったら鳥人間コンテストに出てくれよ。おまえがパイロットになって『飛びま〜す』とか言ってテレビに出てたらおもろいんやんけ」
と冗談まじりに言ってきた。 その時は
「確かにおもろそうやけど航空宇宙工学科ってそういう活動するところとちゃうと思うで・・・」
否定的に答えたが、直感的に「これは面白そうなネタだな、楽しめそう」と感じた。高い志も憧れもないが、このときの「面白そう、楽しめそう」という感情が原動力となって以降の行動を支えていたように思う。
こんな思いを持って学生生活はスタートし、前回の話のように多少凹むこともあったりしたがトントン拍子に話は進んで5月には実際に飛行機作りをしているチームと出会えるチャンスが回ってきた。
この時は、あんなに変わったおっちゃん達と出会うとは思ってもみなかった。