一筋縄ではいかぬ治療用アプリ(DTx)開発の画像


医療・製薬業界に関係している方は、『DTx(Digital therapeutics)』という言葉をよく耳にすると思います。DTxとは「疾患や怪我の治療・症状緩和を目的とし、効果を示す臨床データに基づき薬事承認を受けた治療用のソフトウェア」を指していて、いわゆる”治療用アプリ”と呼ばれるものです。似た言葉として『プログラム医療機器SaMD:Software as a Medical Device)』がありますが、こちらは「AIなどのデジタル技術を用いて、診断・治療・予防に寄与する薬事承認を受けたプログラム」の総称で、治療用アプリはSaMDに内包される概念です。少しややこしいですね。

この治療用アプリですが、日本で薬事承認を得ているものは多くありません。CureApp社のニコチン依存症治療アプリと高血圧治療補助アプリ、サスメド社の不眠障害用アプリの3つだけです。そのうちの1つ、サスメド社が不眠障害用アプリの保険適用希望書を取り下げるという、プレスリリースが2024年1月に発表されました。今回はこのニュースについて、少し深掘りしていきたいと思います。
Link:https://www.susmed.co.jp/news/post/5421/

不眠障害用治療アプリってどんなもの?

サスメド社は『認知行動療法CBT:Cognitive Behavior Therapy)』によって不眠障害を治療するアプリの開発を進めています。CBTとは、症状の要因となっているその人の行動・癖・考え方を明らかにして、よりよい習慣に変えられるように働きかける心理療法です。医師が対面で行うCBTは、うつ病や不安障害、パニック障害などの疾患に対する治療法として保険適用されており、治療効果と再発予防効果があると言われています。

日本における不眠障害の治療は睡眠薬を用いた薬物療法がメインです。睡眠薬の種類によっては長期使用によって効きづらくなる、服用を止めると不眠症状が強くなるといった副作用があるので、あまり使いたくないと思う方も多いのではないでしょうか。米国では睡眠薬に依存しないCBTによる治療が第一選択になっています。日本の医療機関では人手不足のため、診療に時間のかかるCBTは敬遠され、ほとんど活用されていないというのが実態のようです。対面のCBTは1回30〜60分 かけて実施されますが、治療用アプリでは睡眠に関するCBTのプログラムを日ごとに分割して受け取るイメージです。医療従事者の負担も少なくなることから、このアプリが実用化されれば、不眠障害治療の新たな選択肢として期待されます。

薬事申請から保険適用までの流れ

国民皆保険制度の日本では保険適用下での診療がメインですので、保険適用外の治療はほとんど行われていません。医療用医薬品・医療機器でスケールするビジネスを狙うのであれば、保険適用は必須要件となります。医療機器の薬事申請から保険適用までのステップは、以下の通りです。

薬事申請から保険適用までのステップ
 ① 企業が厚生労働省に薬事承認申請をする
 ② PMDA(医薬品医療機器総合機構)が有効性・安全性・品質の審査を行う
 ③ 審査結果に基づき厚生労働省が承認する(薬事承認)
 ④ 中医協(中央社会保険医療協議会)が評価し、保険適用を了承する

サスメド社の本アプリはステップ②で有効性と安全性のエビデンスが認められ、2023年2月に医療機器としてステップ③の薬事承認を受けました。しかし、2024年1月に中医協の医療技術評価分科会で「評価すべき医学的な有用性が十分に示されていない」という理由から保険適用が見送りされてしまいました。これはいったいどういうことでしょうか。

なぜ保険適用されなかったの?

薬事審査の基準は「申請に係る効能・性能を有するかどうか」です。対象となる患者に対して、どの程度有用性があるのか、医療者側にメリットがあるのか、正常に働かなかった場合の危険性はどの程度あるのか、などの目線で評価されます。

一方、保険適用の審査は、上記薬事の目線に加えて、医療経済上の有用性なども評価されます。また、償還価格(保険点数)については、過去に保険適用された医療機器との類似性が重視され、類似性が高ければ同様の償還価格に、異なると評価されれば区分が新設されることになります。ただし、医療機器は医師が診療に用いることが前提であり、医師の診療内容に対する評価額(いわゆる医師の技術料)と密接に関わるため、医療機器単独で有用性が評価され区分が新設されるものではない、という難しさがあります。

今回のサスメド社の不眠障害治療アプリは、「不眠障害の治療において、医師が行う認知行動療法の支援を行う」と薬事承認で定義されています。つまり、本アプリ単体で患者に使うのではなく、医師が対面で実施する不眠障害のCBTプログラムが本アプリの使用の前提にあるということです。しかし実は、不眠障害に対する対面式CBTはまだ保険適用されていません。本アプリと同じタイミングで、関連学会からの要望を受けて、対面式CBTの不眠障害への適応追加についても中医協で審議されていましたが、見送りとなってしまいました。そのため、サスメド社も本アプリの保険適用希望書を取り下げて、作戦を練り直さざるを得なかったのだと推察されます。

適切な保険点数が認められるかどうかが、医療機器ビジネスの成功と、患者負担額の少ない治療を提供する鍵となります。そのため、どのようなエビデンスをとり、どんなロジックで希望の保険点数を主張していくのか、その戦略の練りこみが肝要です。ただ本アプリについては、医療機器としての有効性等についてはPMDAが審査を行い(ステップ②)、それが認められたからこそ厚労省が薬事承認を与えている(ステップ③)わけなので、本件は少し気の毒に思います。

治療用アプリ開発の難しいところ

治療用アプリを開発する難しさはいくつかありますが、その中でも重要な3つのポイントをお示しします。

1.臨床的エビデンスを示す
効果に応じた適切な保険点数を獲得するためには、治療効果の高さや、医療経済上の有効性を示すエビデンスが必要となります。特に患者さんの行動を変えて治療効果をあげるという治療用アプリのアプローチは、おおよそ何かを「我慢・努力」してもらうということになります。長期間の使用を促しアウトカムを示すということは決して容易ではありません。

米国では、臨床的なエビデンスが十分に蓄積される前に、セキュリティと安全性の必要要件を満たせば、保険適用が仮承認され、患者に処方できる仕組み(Pre-Certification Program)があります。仮承認後に実臨床でのリアルワールドデータを収集して有効性と安全性を検証し、最終的な保険償還額が決定されるのです。日本にも、同様の仕組みとして医療機器の『チャレンジ申請』という制度があります。これは「保険適用後のデータに沿って新たな機能区分を申請できる」というものです。ただし保険適用申請と同時に、チャレンジ申請に必要な計画(データ収集・評価の具体的計画)を示す必要があり、制度利用のネックになっています。この点については、制度ルールの緩和に向けた議論が中医協でなされていることから、より使いやすい制度になっていくことが予想されます。

2.UI/UXの作りこみ
ユーザーに使い続けてもらうためには、通常のスマホアプリと同じく治療用アプリにおいても、UIとUXを作りこむ必要があります。医療機器は薬事承認を受けると、通常のアプリのように簡単に仕様を変更できません。仕様(使い勝手)を変更すれば、その効果も変わる可能性があるからです。変更の度合いにもよりますが、厚労省に『一変申請(製造販売承認事項一部変更申請)を行わなくてはならないケースがあります。その場合には審査に数か月かかることもあるので、極力アプリの完成度を高めておくことが重要です。現在治療用アプリを開発している各社は、まず医療機器ではない『
ヘルスケアアプリ』としてリリースし、UI/UXの改善を行っているケースが多いようです。

ちなみに私たちINDEE Japanが開発した『ヘルスケアキャンパス』というツールを用いると、①ジョブ、②計測・診断、③介入・治療、④体験・フィードバック、⑤アウトカム・結果、という行動変容を継続するうえで重要な5つの要素を押さえた体験設計が可能となります。ヘルスケアアプリや治療用アプリを開発する際には、ヘルスケアキャンパスなどを用いて、介入効果だけでなくユーザーの継続性を考慮しておくことが大事です。先に確認しておくことをお勧めします。

3.関連学会の巻き込み
先にお話ししたように、今回のサスメド社の治療用アプリのような、類似の既存医療機器がない場合には、その医療機器を用いる医師の技術(診療そのもの)についても保険適用させなければならないことがあります。メーカーは医師の技術の保険適用に関して、主体的に関与することはできないため、関連学会から直接、中医協に要望を出してもらう必要があります。どのKOL(Key Opinion Leader)に対して協力を仰ぐのか、そのKOLは学会においてどんなプレゼンスがあるのかなどをしっかり考慮して、学会活動の戦略を用意する必要があります。また、そうした活動が将来的に、治療用アプリを治療ガイドラインに載せ、多くの医師に選択してもらう近道になるかもしれません。

治療用アプリへの期待

今回のブログでは治療用アプリの開発の難しさという側面にフォーカスを当ててお伝えしました。実は、保険適用後、医師や患者に浸透させていくフェーズにおいても、たくさんのハードルがありますので、そちらについてはまた別の機会でお伝えできればと思います。

治療用アプリの開発ハードルは決して低くないですが、糖尿病などの生活習慣病や、うつ病などの精神疾患を対象として、多くの製薬企業やスタートアップがチャレンジしています。治療の選択肢としてアプリがスタンダードになれば、かかりつけ医によって治療用アプリが処方されことで重症化予防につながり、専門医による高度な治療が必要となる患者さんを減らせるかもしれません。治療用アプリには、医療費を下げつつ、患者さんのQOL(Quality of life〈生活の質〉)を高めるというポテンシャルがあると思いますので、各社の果敢なチャレンジを期待します。


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