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バイアスは「性格」ではなく、鍛えられる筋肉である
コップに水が半分入っている。これを「半分もある」と言う人はポジティブで、「半分しかない」と言う人はネガティブだ――そんな言い伝えがあります。私たちはこの話を聞くと、なるほど自分は後者だな、生まれつきそういう性格だから仕方ない、と妙に納得してしまいます。認知バイアスについて色々と触れてきましたが、一番もったいないのは、この「性格だから仕方ない」という諦めです。
でも、ちょっと待ってください。
「コップには水が250ミリリットル入っています」
こう言われたら、どうでしょう。「半分も」も「半分しか」もありません。ポジティブもネガティブも入り込む隙がない。リットルという客観的な指標を覚えた瞬間、そこからバイアスは消えてなくなるのです。つまり、コップの水の見え方は「性格」なんかではなく、測り方を知っているかどうかの問題だった、ということになります。
ビジネスは「損しない」ように進化してきた
実際、通常のビジネスはこのやり方で徹底的に賢くなってきました。売上、原価、在庫回転率、歩留まり。感覚で「なんとなく儲かってる気がする」と言う経営者は淘汰され、数字で管理する会社が生き残ってきた。会計もKPIもPDCAも、売上やコスト、その中間作業を可視化し、科学的に扱いやすくしています。「人間の思い込みを定量化で矯正する仕組み」と言ってもよいでしょう。カーネマンの言葉を借りれば、バイアスまみれのシステム1の判断を、論理的で定量的なシステム2で検算する装置を、ビジネスは何重にも組み込んできたわけです。
その結果、企業は驚くほど「損をしなくなった」。これは素晴らしい進歩です。
ところが、ここに落とし穴があります。
「損しない」習慣が、プラスを生む邪魔をする
イノベーション、つまりゼロからプラスを生み出す活動においては、この「損をしない」という習慣そのものが、新しいバイアスとして立ちはだかるのです。
新規事業のアイデアを役員会に持っていくと、必ず聞かれます。「市場規模は?」「投資回収は何年?」「成功確率は?」。既存事業なら答えられるこれらの問いに、生まれたばかりのアイデアは答えられません。データがまだ世の中に存在しないからです。すると、数字で答えられないものは承認できない、となる。「損をしない」ために磨き上げた検算の仕組みが、「プラスを生むかもしれない」ものを片っ端から却下していく。
そもそも人間には、利得の喜びより損失の痛みを2倍以上強く感じる損失回避の性質が備わっています。そこに「定量化できないものは通さない」という組織の習慣が上乗せされるのだから、何も生まれなくなるのは当然です。畑を耕す道具ばかり精密になって、種を埋める人がいなくなってしまった、というような光景です。
バイアスは鍛えられる
では、どうすればいいのか。
私は、バイアスは筋肉のようなものだと考えています。放っておけば凝り固まって邪魔になるが、鍛えれば力になる。
以前、「直感」と「思いつき」の違いについて書きました。システム1は経験でできているので、関連する経験を豊富に積んだ人の直感は、単なる思いつきを超えてロジックを伴う、という話です。
例えば、Amazonを創業する前のベゾスは、ニューヨークのヘッジファンドで働く金融マンでした。1994年のある日、「インターネットの利用量が年率2300%で伸びている」という統計に出会います。彼はこの数字を見て会社を辞め、ネット書店の起業を決めました。年率2300%というのは「へぇ~」と、聞き流そうと思えば聞き流せる、ただの統計です。しかし、仕事柄あらゆる産業の成長率を日々浴びていた彼には、それが常識のはるか外にある異常値だと一瞬でわかりました。同じ数字を見ても、比較の物差しを持たない人には、その凄さは見えません。
これは言い換えれば、ベゾスが「良いバイアス」を鍛え上げていた、ということです。バイアスとは経験が作る判断のショートカットですから、質の良い経験を大量に積めば、質の良いショートカット、つまり磨かれた直感になる。逆に、同じ業界の同じ景色ばかり見ていれば、「今まで通りが一番」という凝り固まったバイアスが育つだけです。
使い分けこそが腕の見せどころ
整理すると、こういうことになります。
損をしないための領域では、定量化によってバイアスを消す。これは既にビジネスの常識であり、リットルを覚えたらコップの議論が終わるのと同じです。一方、プラスを生むための領域では、定量化を待っていたら手遅れになるので、鍛え上げたバイアス、つまり磨かれた直感に跳ばせる。そして跳んだ後の検証は、また定量的に行えばいい。
結局、鍵になるのは「目的」です。バイアスを消すべきか、働かせるべきかは、バイアス自体の善し悪しでは決まりません。いま何をしようとしているのか、が決めるのです。
目的が効率なら、直感に任せる。慣れた仕事を速く正確に回すのは、経験でできたシステム1の独壇場であり、いちいちシステム2を起動していたら日が暮れます。ここでは手持ちのバイアスこそが最大の資産です。
ここで面白い対比があります。AIには「推論」と「学習」という機能が明確に分かれています。推論は、すでに学習済みのパターンを使って高速に答えを出すモード。学習は、新しいデータを取り込んで自分自身を書き換えるモード。この二つが混ざることはありません。ところが人間は、この切り替えが驚くほど下手なのです。本来なら学習すべき場面、つまり初めての課題を前にしたときでさえ、手持ちのパターンで推論して即答してしまう。「それは昔やってダメだった」「うちの業界では通用しない」。学習モードに入るべきときに、推論のバイアスをかけっぱなしで走ってしまうのが、人間の癖なのです。
一方、目的が新しいことへの挑戦なら、手持ちのバイアスは資産どころか、過去の成功が染み付いた足かせになりかねません。ではどうするか。消すのではなく、新しいバイアスを作りに行くのです。まだ持っていない経験を意図的に浴び、見たことのない数字や顧客に触れ、次の直感の材料を仕込む。市場の目利きが一瞬でマグロの良し悪しを見抜けるのは、何万本ものマグロを見てきたからです。直感は、浴びた経験の量と質からしか育ちません。挑戦とは、いわば未来の自分のためのバイアスづくりでもあるのです。
効率のためには、いまあるバイアスを使い倒す。挑戦のためには、まだないバイアスを育てる。バイアスは与えられた宿命のようですが、案外書き換えが可能なのです。挑戦という目的があるなら、バイアスを書き換えるつもりで取り組むと、まるで違う世界が見えるはずです。